『生物の世界』ーある文化人類学教徒の聖書
わたしはイスラム教徒のフィールドワークなどしているので、しょっちゅう改宗をせまられたりすることもあるのだが、
とりま改宗の予定はない。
世界にあまたある宗教のなかで、”真の神”(イスラムではよくいわれる)がどこかにいるとも思えなかったし(それが偽物だと思っているわけでもない)、日本の宗教観というか、お地蔵さんがあればおがみ、どこの檀家でもないけど気にもせず(指導教員も亡くなってから”なんか自由っぽいの選んだった”と宗派をえらばれて逝ってたっけ)、なゆるゆる状態が身にあっていないとも思っていない。
先日フィールドワークの帰りに経由で1日だけ仏教国に寄ったのだが、そこの人々のふるまいは決してイスラムの民に劣っているとは思えなかった。
そんななかでわたしは時々自分のことを”文化人類学教徒”などとうそぶいたりしているわけなのだが、
その理由は、さかのぼれば『生物の世界』にいきつく。
本書は「住み分け」理論の創始者の今西錦司氏による和製進化論の書ともいわれている。今西氏には、いくつかの誹謗などもなくはないが、わたしは氏が本書を破綻なく書ききっている点で評価している。
で、これでどうして文化人類学教徒になったのかというと、ここには生物が生きるということとは何かが実に淡々と網羅されているというか。
ひさびさに読み返してみて、やっぱりすごいなと思ったのが、今西氏は、宗教あるあるの霊魂と肉体といった二元論を、以下のようにぶった切る。
ここで氏の述べるのは、生物とは足の本数やとげの形状といった博物学的特徴にあるのではなく、そうした体をもって、どう食べ、どう敵を避け、どう動き、どう泳ぎ、どう「生きて」いるのかこそが、その生物の生物たる本質であることを指摘する。
この「寸毫」の書きっぷりには、わたしはいつものけぞる。
魂のないところに肉体はないし、肉体なくして魂はないのである。その一致にだけ「わたし」はある。
だから、わたしの「霊魂」などというものは存在せず、それが行くであろう天国も地獄も審判もなく、わたしという有機物的生命は、死すれば無機物的生命に変わり(解体していく)、それによってまた世界の「生きる」に参与していく、そういうことなのだろうと思う。
でも動いて「生きて」いることって、どうやって「みる」ことができるの?という問いに対してこたえになるのが生態学的なものの見方である。
これについては梅棹忠夫と吉良竜夫による『生態学入門』がよくまとまっている。
これらの文が何を意味しているのかというと、環境に対し、すべての生き物は主体性をもって相対しているということなのである。
それは、環境決定論の批判でもある。だからこそ、繁殖行為を生物の環境にたいする投機とみなす自然淘汰の論はここでは否定される。
わたしの研究は、この環境と取っ組み合っている主体、というみかたで、人間の暮らしを読んだらどうなるのか、食べ物と人、住居と人、宗教と人の関係を、力学的に均衡しない「運動系」としてとりだすことができたらどうよむことができるか、というところを意図してきた。
だいたい『生物の世界』では、民族についてはまったく書かれていない。
生物は住みかをひろげ、生活の仕方が変わったときに別種をつくりだしているようだが、人間はなぜ別種をつくりだすのではなく、民族をつくることで、異なる環境への適応をはたしてきたのか(いまだ相互交配可能)。
民族とは何だろう。
これが位置づけられていない。
それは残念なことだが、もとより本書のタイトルは『生物の世界』なので、そのへんは自分でやればいいということなのだと思う。
人間には意識があるから他の生き物より高等だ!と思いがちだが、
人間には、意識で制御できていないのにできている、ということが実はとても多い。
たとえば暑いから汗がでること、
意識的に汗を出そうと思っていなくても出てくる、
しかもそれは体温調節にとって、とっても重要だったりしている。
まるで植物の蒸散である。
そういった意識をともなわないけれどクリティカルなこれらの現象を、今西氏は人間の体の「植物的部分」と呼んでいる。
こういうふうに考えれば、植物だって「意識」をともなわずに、周囲の気温を認識し、必要な対処をしていると考えてまったくさしつかえなくなってくるのである。
だいたいわたしの「意識」というものだって、「類縁の近い」(自分が認めた価値あるものとの比較でしか)ものしか認識できていない「ポンコツ」なのである。
わたしは、人類は、植物や動物やほかの人類のいとなみは辛うじて「みえる」が、星の運行もバクテリアも何もみえてはいない。
どうでもいい話だが、わたしは生まれは関東者なので、ネギといえば深谷ネギのようなぶっといネギだけがネギだと思っていて、それ以外まったく目に入っていなかった。最近出た料理書に「コネギ」を使うべしと書いてあって、なんだそりゃ、そんなもんそのへんで買えるのか?と思ったらどこにでも売っていて愕然としたことがある。
学問とは、社会の、わたしの、せまい視界を、普通じゃない手順をふむことによってすこーし広げる行為なのだろうと思う。
そしてわたしは「みりゃわかるよ」とか「忘れたりしないって」とかいわずに、目の前にあるものをせっせと端から端までノートに書きとったりして、あとで「こんなデータあるんじゃん!」と自分で驚いたりすることをくりかえすのである。
わたしの「認識」がもしも森羅万象をとらえられているのなら、異文化に接した際の「えっ?」など存在するはずがない。わたしの認識が一部しか民族の世界をとらえられない仕組みになっていることに気づけるからこそ、わたしは調査に行く。
そうしてわたしはフィールドでさまざまな家族に出会った。そこには子供があふれかえっている牧畜民の世帯もあった。
次の世代や次の人類学の学生たちということを考えたとき、わたしはまた『生物の世界』にかえった。
最近反出生といった思想にふれる機会などがあったのだが、ほかにも「産まれてもこんな時代じゃ幸せになれない」「こんな目にあわせるくらいなら産まないほうがいい」というものいいもあった。そうしたものいいは、実は昭和の時代からすでにあった。
人はいつもそういった思いを持つものなのだろうか。それとも今は極めつけにわるい時代なのか、それは、わたしにはわからない。
しかしこれに対する今西氏の返答はすごい。
う~ん、これは人間の場合はどういうことになるのだろう。
いずれにしても、生物のなかで妙な動きをとりつづけている人類の未来に、民族の未来に、明確な答えはない。
親も、わたしを産んだときはそれが氷河期世代などというとんでもはっぷんの時代だなどということは想像もしていなかったと思う。
わたしの指導教員は…とはいっても、わたしは望んで院に入ったので、その後におこることは教授に問う類のものではない。が、ある晩皆でだべっているときに急に研究室やってこられ「もう皆研究なんてやめちまえ!」と荒れておられた時期があったなあ、とか。
でもまあわたしはとりあえず楽しくやっているので、なんだかなぁとは思っている。
しかしどうもわたしは幼少のころに「南極物語」などみて育った世代なので、人間のほうは殺してくればよかったなんていってても、犬は元気に極地に生きていることもある、と思っている。
死ねといわれたって、生きる。
生命という他者には、その強さがあることもある、とわたしは思っている。
それにしても越冬隊長(西堀栄三郎)が南極に行く前からすでに宗谷では無理といわれていたのに、それでも宗谷で行ってああなったわけで、犬も日本的なお役所仕事のとばっちりを食っただけ、という気もしないでもない。
さて、死後の霊魂のゆくすえを考える必要はないとわたしはいったが、わたしに特定の宗教がないとなると、そこに審判などの生前の善悪などを裁くシステムはないことになるのだが、宗教がなければわたしたちには良心のよってたつところはないのだろうか。
今西氏は次のようにいう。
というわけで、わたしはわたし以外のものにはなりたくないと思っている。
そういうわたしのまなざしから、世界を、その生物の主体の一つ一つを、敬意をもっていますこし見守りたい。