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爪痕を残したい

私が今困っていることはふたつあります。

①「双極性障害を抱えながら、まとまったお金を稼いで経済的自立することを目指すとしたら、どのようにしてできるだろうか」

しかし、もしもこの目標自体が、私の能力を遥かに超えているとしたら、私はこの目標の難易度を下げていくでしょう。
でも、今は、ある程度可能な範囲でその目標を目指すとしたら、という前提で勉強をしています。

それに、私の場合は、その目標を叶えるためにイヤイヤ勉強しているのではなく、私の性分として、好奇心と向上心が強いため、勉強が好きなのです。

また、私は感受性が強い分、人と接することで疲れてしまう、場合によっては傷ついてしまうため、勉強や練習など、目的のために1人で集中して作業に没頭する方が、コストが低いのです。
人間はコストがかかることは楽しくても長続きしません。したがって、私は1人で悠々自適に勉強する時間を持てることが私の心の平穏に繋がっていると考えます。

しかし、そうはいっても、病気のために社会やコミュニティに所属することができず、1人で行う作業ばかりとなると、いよいよ本当に孤独を感じます
。しかも、この孤独というのは、1人でいることが孤独なのではなく、周りと合わない、理解してもらえない、盛り上がれない、というときこそ強く感じるものです。

そこでふたつめの問題は

②「双極性障害と闘病する中で、自分の所属感を感じられるような人間関係が希薄になってしまう」

ということです。私はとにかく「成長」をしたいと思い続けてきました。高校生のときもそうでした。周りに合う人がなかなかいませんでした。だからこそ、そこから飛び出して、自分と同じような「成長したい」と思っている人間を探しに行きました。
だから、今も思っているのです。「まだ私が足りないから、自分が感銘を受けるような人たちに選ばれるレベルに到達していないから、出会えないんだ…やっぱり努力しないと!きっと努力すれば、そういう人たちと同等に話すことができるのかな」
でも、一方で、私の病気はその成長に何度も足枷をしてきます。今回もです。だから、双極性障害を抱える人は、闘病疲れから人生を終わらせることを選んでしまうのだと思います。
私も…絶望という言葉よりかはもっと諦めに近いというか…なんでこんな不快な人生ゲームをやらされてるんだろう?あと何度挫かれるんだろうな…って。
でも、それでも、ハングリー精神と成り上がりたい欲を捨てたくないんです(笑)だって、私は19歳のときまでは、こんなはずじゃなかったんです!
普通に健常者だったんです!いくら病気に呪われても、ただの「闘病こそが私の人生でした」っていう人生にしたくないんです!

「私のキャリアは闘病でした」が私の人生の3分の1か2分の1だったとしたら、後半生は「でも病気だけが人生の全てでした」っていう人生にしたくないんです。もちろん、病気を受け入れなくてはいけない、闘病こそが私が最も真っ先にやらなくてはいけない最重要課題であることはもうわかっています。だから、普通の人みたいに多くを望めないこともわかっています。
悔しいですが、そういう十字架を負わされたんです。重い病気を抱えている方たちは本当にみなさんそうだと思います。今日生き残ることこそが最も大事なことですよね。
でも、それだけっていうのも人間である以上、辛いじゃないですか。やっぱり、生きているからには欲があっていいんじゃないかって。
私は、とにかく探求したいんです。そして、病気があっても真正面から生きて、不健康な人間でも生計を立てられる手段がないか探したいんです。欲しいものがあるわけじゃないんです。ただ、自由を得たいんです。力を感じたいんです。一度精神疾患になったら、社会から抹殺される弱い存在でも、懸命に生きようともがいて、実際に何か結果を残したいんです。爪痕を残したいんです。

同じような魂の人たち、一生死ぬまで学び続けたいっていう人たちとじゃないと、分かり合えないんです、きっと。

長きに渡る闘病は、働くことができない&社会と関わる機会が減る、そしてそれによって所属感を得られない→ますます孤立していく、というループがあると思います。そして、この闇はおそらく簡単に解決することができないし、病気の症状が回復してきても、この問題こそが患者を苦しめ、症状にも影響を与えうるのではないかと思いました。


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