【読書】『カラー・パープル』/ピュリッツァー賞受賞作を読む
差別の色濃い時代と場所に、黒人女性として生きる。
それがどういうことなのかを、20代の頃読んだこの本で、初めて知った。
衝撃で何度も本を閉じながらも、読み止めることができなかった。
わたしの想像を超えた過酷な暴力と男性への服従が、そこにはあった。
生まれた瞬間から「白人及び男性優位」の価値観が刷り込まれることがどういうことなのか、そしてそれがどのように黒人女性から力を奪ってきたのかが、この作品ではとても立体的に描かれる。
生まれたときから絶えず「お前は無価値な人間だ」というメッセージを受け取り続けると、人は自分の足で立ちあがることを思いつかなくなる。
物として扱われることに、疑問を抱かなくなる。
これは、精神の虐殺だ。
男性優位の価値観を刷り込まれているのは、なにも女性だけではない。
男性自身もその価値観を刷り込まれているため、特段の悪意なく暴力をふるい隷属させ、ただの所有物として女性を扱う。
仕事がうまくいかずイライラしたとき、彼らは椅子を蹴るのとまったく同じ気軽さで、自分の妻を蹴る。
そこに罪の意識はない。なぜなら自分の所有物だから。彼らが後悔するとすれば、蹴った衝撃で自分の足が痛むことくらい。
悪意不在の差別。無自覚な暴力。
このことが、わたしにはとても恐ろしく思えた。
これは、そのような絶望的な環境に生まれたひとりの黒人女性セリーが、やがて立ち上がり、精神的自立を確立していくまでの物語だ。
魂が震えるような、それは読書体験だった。
セリーが自分の置かれた環境に疑問を抱き始めるきっかけを作るのは、シャグという歌手の女性だ。
彼女は同じ時代に生きる黒人女性でありながら、精神的・経済的自立を確立し、誰にも隷属せず、自分の思うまま自由奔放に生きている。
このシャグと友人になり語り合うことで、セリーに変化が起こる。
セリーとシャグが神について語り合う場面が、わたしはとても好きだ。
教育を受ける機会を持たなかったセリーの「無教養文体」で綴られるこの会話は、シャグがセリーに「あんたには神さまがどんな姿かたちに見えるのか、あたしに教えて」と訊くところから始まる。
神の姿を思い浮かべようとするとき、そこに白人男性の姿が見える。
「神が、自分に暴力をふるい隷属させる存在と同じ姿をしている」ということに、セリーは(そしてたぶん多くの読者も)、シャグに指摘されるまでなんの疑問も抱かない。
この会話のあと、「神は白人男性じゃない。このわたしの中にいるんだ」ということが心に染み入ってくるにつれ、セリーは無価値感を乗り越え、自分の足で立ち上がる精神を取り戻していく。
そしてその態度はやがて、周囲の男性たちの意識も変えていく。
ピュリツァー賞受賞の名作。
これは間違いなく、私の血肉になった本のうちの一冊。
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