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予定外の贈りもの ー 『スロウトレイン』

TBSの新春ドラマ、『スロウトレイン』を観た。



◇ 看病の時間

元旦の朝、夫がインフルエンザを発症した。
39.5℃の高熱、吐き気、頭痛。

元旦に診てもらえる病院をあちこち探し(見つかったときには本当にありがたかった)、口当たりのいいゼリーや経口補水液を買い込み、予定していたお正月の予定をすべてキャンセルした。

看病の時間というのは、じりじりと長い。
インフルエンザ用の薬を服用したあとはひたすら水分補給と休養あるのみで、食事のしたくと洗濯のほかに、家族ができることはあまりない。

それでも、急変したりしないかと別室の夫の苦しそうな気配に常に耳を澄ませ、神経はどこかぴりぴりと張り詰める。

身体は暇なのに神経の緊張が続く、のっぺりと引き延ばされたような時間。
そんな時間が、三日ほど流れた。


◇ 止まった時間のなかで観る

わたしたち(わたしと中1の娘)がそれぞれお正月らしいことを楽しんでいたほうが、夫はきっと、いっそ気が楽だったろうと思う。

でもわたしも娘も、苦しそうな夫をおいて初詣にいく気にはさらさらなれなかったし、珍しく奮発して買った高級おせち(冷凍で届いた)を二人だけで解凍して食べる気にもなれなかった。

お正月が棚上げされ時間が止まったような家の中で、「なにか気分転換をしなくちゃね」と娘と言いあって、それでもいい案はこれといって特に浮かばず、とりあえずTVerをつけた。
何を観たいということもなく、まったくいい加減に、ドラマ部門ランキング1位のところにあったものを選んでなんとなく流し始めた。

それが、『スロウトレイン』だった。


◇ 小さな生を、生きていく

両親と祖母を交通事故で一度に亡くした、三人の姉弟。
たくさん喧嘩をしながらも寄り添いながら成長し、月日は経って、二十三回忌の法事の帰り道。
次女が突然「韓国に住む」と姉弟に告げる。
これをきっかけに、三人がそれぞれの人生を見つめはじめる。

『スロウトレイン』イントロダクション

人生の岐路は、ひっそりとやってくる。
あれが岐路だったのだと、あとになってわかることもしばしばだ。

少し重たい背景と、「自分自身の人生を生きる」という普遍的なテーマ。
それを、からりと軽やかな会話と鎌倉の穏やかな海の風景が、優しく包む。

きょうだいの軽妙なやりとりを笑いながら観ているうちに、人生をくぐり抜けるあいだに彼らが背負い込んでしまったものが自然と沁み込んでくる。

誰かの代わりに生きることは誰にもできないし、自分が受けた傷には自分の血が流れる。
それでもいつか傷は癒え、その先をどう生きるかは、自分自身で選ぶことができる。

生きるということは、小さな毎日の積み重ねだ。
起きて、食事を作り、食べ、洗濯をし、ごみを捨て、お風呂に入る。
大それたことはなにもない、そういうひとつひとつの小さなことの中にこそ、自分らしさは宿る。

毎日のことごとに宿るその小さな「自分らしさ」を、ないがしろにしないこと。
人からどう見えようと、自分自身の日々を大切に生きていくこと。
小さな日々の積み重ねが、つまりは人生なのだから。

その静かな覚悟を、穏やかに軽やかに描いてみせるドラマだった。


◇ 次の駅まで、ゆっくりと

予定外のことは、日々起こる。
体調が崩れることもあるし、気分がどうしても落ち込む日もある。
この先どうなっていくのか見えなくて、不安になる夜もある。

でも、だいじょうぶ。
先が見えないなら、次の停車駅だけを見つめていればいい。
次の停車駅に着いたら、きっとまた次の停車駅が見えはじめる。
ゆっくりいこう、だいじょうぶ。
人生は、生きる価値のある、いいものなのだから。

そういうメッセージが、静かな潮騒のように物語全体に響いていた。
観終わったあと、自分の人生もほかの誰かの人生も愛おしくなるような、やさしい物語。

こんな物語を、わたしも書いてみたいな。
ふと、そんなふうに思った。


◇ 予定外の贈りもの

わたしは普段、ドラマを観る習慣があまりない。
だからこの『スロウトレイン』は、お正月がすっかり棚上げにならなければ、看病のじりじりとした時間がなければ、きっと観ることのなかったドラマだ。
予定外の時間にやってきた、贈りものみたい。

素敵な人やものごととの出会いは、たいていこんなふうに、予定外のところからやってくる。

頭は「予定外」を嫌うけれど、きっと人生はそれを歓迎しているんだろう。
そんなふうに思うことは、なんだか素敵な気分だ。

人生がそうするように、わたしも予定外を歓迎して生きていこう。
ゆっくりと、まずはただ、次の駅を見つめて。

* * * *

お読みいただき、ありがとうございました。
どうぞいい一日を!



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