【森高千里】雨のち晴れ、テリヤキ・バーガー、青春、そして円安
森高千里のライブツアー「今度はモアベターよ!」が7月2日でファイナルを迎えた。会場は昨年6月のツアー開幕と同じく昭和女子大学人見記念講堂(東京・三軒茶屋)で、1年かけて東北から鹿児島まで全国34公演(38だったかも)をぐるっと駆け抜けてきた感じ。2019年から22年までコロナを挟んで敢行した前回の全国ツアー「この街」ツアー(「歌う地域創生」と表現しているポストがあり、そのとおりだと思った)に比べるとちょっと「抜けた」「おちゃらけた」感じがあるツアータイトルだけど、実は込められたものはめちゃめちゃ多いツアーだったように思う。
このツアーはどういう状況下で始まったのか。2023年6月は、新型コロナウイルスが5類感染症に移行したまぁ直後で、2020年春から3年超にわたって続いたコロナ禍を「くぐり抜けたばかり」のタイミングと言っていい。森高千里は「この街」ツアーを2019年1月からたしか狭山(埼玉県)でスタートし、同年12月の仙台公演をもってこれを完走するのだが、このファイナル公演のさなか、同ツアーの好評を受けて2020年もツアーを継続することを発表する。19年に行けなかった都道府県を踏破する、という建て付けだった。1990年代に女性ソロアーティスト初の全都道府県ツアー(しかも2年連続)をやっただけのことはある。
ところが2020年たしか2月、横浜港に接岸中のクルーズ船で発覚した新型コロナウイルスによって状況は一変。すでにブッキングされていた公演は中止、もしくは延期となり、同年は政府による緊急事態宣言なども背景に、リアルの公演がほとんど不可能な状況に追い込まれる。これは森高に限らずあらゆるアーティストがそうだった。
話は戻って2019年10月。名古屋で生まれて初めて森高のライブを観た私はすぐに沼り、チケットが取りやすいファンクラブ(デジタルジュリアプレミアム=DJP)にも入会して手ぐすね、というところだったのだがこのコロナ禍で梯子は外れる。実際、2020年の1年間に生で観ることができた森高ライブは年末にZeppHANEDAで開催された「マスク着用・声出しなし・完全着席・1席空け」のシークレットライブだけだった。まあ、モリタカに限らずとのアーティストも、この年はそんな感じだった。
このシークレットライブは選曲含めてたいへん良きものだった。以降、このときしか聴けてない曲もあるんじゃないか。今思えばこのときのモリタカは一席空けでスカスカした会場、コール&レスポンスのないライブ進行という「らしくない」雰囲気の中で健気だったけど、でもその前の年に初めてライブに行った新参ファンの私には、それほど違和感があるものではなかった。なんせあらゆるアーティストがそんなライブをやっていたのだ。やらざるを得なかったのだ。
でも、森高当人にとってはそうではなかったのだろう。すごく、不満な状況だったのだろう。その後のコロナ回復局面におけるライブの(だんだんの)正常化局面における彼女の発言を振り返ると、ジリジリ焦れるような当時の森高の「気分」がなんとなくうっすら理解できる。それが2023年、24年と少しずつ振り返られ、「あぁそうだったなあ、当時は見る方もだけど、まして演る方は隔靴掻痒だったなあ」という気分のもとで古参のファンの皆様の着火が相まって、ついには今年のツアー終盤で異常な盛り上がりを目の当たりにすることになる。異常じゃないか、異様か。とにかく他のアーティストのライブとは何もかもが違う。
ともかく話を戻すと。21年夏、コロナ感染の緩み方(政府がそう判断した、ということ)を受けて、「この街」ツアーは再開する。マスク着用、声出しなし、1席空け。しかも1日昼夜2回公演で1回の公演時間も80分程度に絞る、というイレギュラー(かつハード)な形での再開だ。当然、もやる。新参ファンの私がもやるくらいだから、長いファンの方、そして誰よりモリタカ当人のもやり具合はいかばかしだったか。
私はモリタカのライブに足を運び出して以降、日本のポップス?ロック?(関係ないわよ)のライブの様式の多くはモリタカとそのファンの方々が作ってきたに違いないと確信しているのだけど、その所作のほとんどが「禁じ手」にされてしまったのがこの2021年だ。それはライブが再開した、といったところで所詮は「形式的には再開した」でしかなく、日本のライブを作ってきた森高千里にとってはまがいもん、のライブに思えてしまっても仕方がない(それでも、拍手しかリアクションがない無音の会場で彼女はよく耐えた)。
この時期の自分の参加ライブの記録を。
20210605 クアーズテック秦野カルチャーホール
20210612 昭和女子大学人見記念講堂 昼
20220612 同 夜
20210710 羽生市産業文化ホール 昼
20210711 クラフトシビックホール土浦 夜
20220722 福岡サンパレスホール
20210911 島根県芸術文化センター グラントワ★
20210912 周南市文化会館☆
20211030 バロー文化ホール 昼
20211030 同 夜
20211127 焼津市文化会館 昼
20211127 同 夜
20211205 森のホール21 昼
20211205 同 夜
20220122 大阪フェスティバルホール
20220211 高知県立県民文化ホール★
20220212 香川ハイスタッフホール(観音寺市民会館)★
20220325 KT Zepp Yokohama
20220328 Zepp Haneda
20220403 愛知県芸術劇場
20220429 佐賀市文化会館
20220522 長岡市立劇場
20220604 周南市文化会館
20220625 宮崎市民文化ホール
★は今に至るまで中止、☆は延期開催、3月のZeppは追加公演
22年に入ると、だいぶレギュレーションも緩和され、後半は立ってもよかったり、一部声出しもアリになったりしてたと思う。2年前かあ〜。
2022年6月の宮崎が「この街」ツアーのファイナルだった。公演の後半何曲かは声出しもOKで、久々にすごい盛り上がりで終了した。遠征ということもあり、楽しかったな。その後、秋のアニバーサリーライブ(豊洲PIT2日間)、23年年明けのZeppツアー(自分は札幌、福岡、羽田、なんば、横浜に参加)そしてCOTTON CLUBの企画モノを経て、昨年6月、我らが「今度はモアベターよ!」ツアーが始まるのだ。それにしても森高千里、休んでない。
はたして、モアベターツアーとはどんなツアーだったのか。続く。明日仕事できなくなっちゃう😵
(ここまで2024/07/02記)
モアベター、というフレーズは小森のおばちゃま(映画評論家の小森和子=故人)の名セリフなんだけど、細野晴臣は1978年発表のアルバム「はらいそ」の最後でそれをパロディー化し、ばだばだばたばた(と駈け戻って来る足音のSE)を受けて、一息置いて「この次はモアべターよ!」と叫んだ。実際、その次のアルバムはYMOの1stだったので、モアベターはまさにその通りとなる。文法的に正しくはマッチベターであっても、more more moreな感じはマッチじゃ出ない。ここはモアベターじゃないと。
で、もちろんこのツアーに限った話ではないけれど、今回のモアベターツアーは特に、選曲に意味が込められたツアーだったという思いがある。
2023年のツアー開始からの夏セットは、Zeppツアー「ロックはダメなのストレートよ!」の余勢を駆って「ハエ男」〜「バナナチップス」からの「夜の煙突」という後半の流れに代表される「ロック編」の印象が残る(実際かっこよかった)。にも関わらず、モリタカの意思をより強く感じたのは、その3曲に続く本編の最後に「雨のち晴れ」が配置されたこと。
酸欠曲の後でのバランスという理由もあるとは思うけれど、「心が晴れてきた」「これでよく眠れる」「これからは」と歌うこの曲は、辛い経験は時間が解決してくれるはずだから前を向こう、と自分に無理やり言い聞かせるような(でも本音はやっぱりツラい)、アンビバかつやけっぱちのような、なんとも微妙な明るさがある。理屈付けするのも野暮だけど、せっかくコロナ禍を脱したところに円安による物価高が直撃し始めた日本の当時のムードを、よく押さえた曲選びだと思った。
同年の秋セットからは中盤に「テリヤキ・バーガー」を据える。本編最後やアンコールで披露されることが近年多かったこのロックチューンを、不動の中盤曲としてはじけさせることで、客席やモリタカ自身、そして大げさに言えば世の中そのものを鼓舞しようと企図した感がある。実際、先日のファイナル人見記念講堂では銀青テープが放たれて盛り上がりは最高潮になったので、これは狙い通り。
前年(2022年)の豊洲PITのMCで「私がいまなんとかしたいのは、円安です」と話したあとにこの曲を演奏しているが、そこから連綿とつながる問題意識なのだろう。この選曲は、多分に不適切なところもあったとはいえ、息苦しいばかりのいまの世相とは違って社会が元気だったバブルの頃を知るモリタカだからこそやれる芸当だ。アメリカもイギリスも、英語も何語も、ロックもヘチマも、男も女も「関係ないわよ」と言い切るこの曲は、1990年の発売時点以上に、現在の日本にこそアンセムとして響く。なお余談だが、モスバーガーが照り焼きバーガーを発売したのは1973年らしい。以外に古い。
そしてついこの間、2024年の夏セット。6月から7月アタマまでのほんとにわずかな本数なんだけど、それにも関わらず、記憶に残るし、なんとも得難い力をくれる曲たち、ライブたちだったことか。本編最後のパート、楽しくもあっという間に終わる「あなたは人気者」(あのエンディングは癖になる)からの「夜の煙突」に続く「私の夏」のあの解放感。嫌なことばかりを見聞きする昨今だけに、いま思い出しても震えがくる体験だった。ブレイク後の「きーめーたっ!」をまたいつか、全灯の客席みんなで歌いたい。この夏セットの映像化(ボックスセットで2024年10月に発売予定とのこと)はホント英断だったと思う。
この2024夏セトリでは、アンコールの2曲目で「青春」が鳴らされる。1991年発売、パソコン、プリ・プリなど固有名詞が多く登場するこの曲はいま音源で聴くとちょっとこっ恥ずかしいところもあるけれど、ライブなら素直に入ってくる。「雨のち晴れ」にも通じる失恋モチーフのこの曲で、やっぱり自分は何があっても自分らしく前を向いていくのだ、と自身に言い聞かせるように宣言する。そのくもりのない、そしていさぎよい決意のありようは、森高千里がいまいちばん価値を置いていることなのだろう。並みのアーティストがやったら噴飯ものになってしまうところ、森高千里にしかやれない、できない表現だし、それを本人よーくわかっている、と感じた。もったいないことに世間はまだまだ森高千里を評価し切れていない。
為替はドル160円を簡単に突破し、円安の行き着くところは全く見えない。円の信認も風前の灯だ。森高千里が自作詞を歌い始めた頃に比べると、世界における日本の存在感はズルズル底に落ちた。政治家も国民も井の中の蛙の田舎者状態が極まり、自分たちの置かれた境遇を客観視していない。しようとしない(それを「思考停止」という)。
でも、森高千里がステージに立ち続けることでデッドエンドは少しずつ先に繰り延べされ、なんならそのうちにハッピーエンドに転換できる好機が訪れるかもしれない。そういえばツアータイトル「今度はモアベターよ!」の元ネタも、また昨年の秋セットから不動のオープニングナンバーとなった「東京ラッシュ」のオリジナルも細野さんだ。その細野さんがつくったグループの名前は「はっぴいえんど」だったっけ。
2024/07/07
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