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8月6日、慰霊の日③|原民喜さん『火の子供』と、語り継ぐことについて
昨日の記事で、切明千枝子さんによる被爆証言を紹介しました。
実際の証言内容は、もっと凄惨でした。
私の生ぬるい感想などを挟ませない事実の重み。
聞き遂げるしかなく、noteという場があるのなら書くより他にありませんでした。
あくまでご自身の体験を語りながらも、県被団協の被爆証言者ということで、事実関係も整理され、内容の筋立ても、さりげないながら作り込まれたもの。
これまでに見たり聞いたりしてきた被爆に関する個人的な語りとは違う、プロフェッショナリズムのようなものを感じました。被爆者の方々の努力がここにも現れている、と、胸を打たれました。
語り部や文筆家、広く一般にSNSで戦争被害について発信するひとたちが、ひとりひとり考えるであろうこと。私も再び考え、悩みました。
つまり、どのような切り口で、克明さで、テンションで書くのかということ。
被爆証言を聞くにあたって、「原民喜さんが見た光景を見よう」という意識で臨みました。
そして、切明さんにも原民喜さんにも共通してみられる「死者へのいたわり」を感じました。
戦争の恐ろしさを伝えるのが目的ならば、ショッキングであればあるほど効果的なのかもしれません。ですが、死んでいく苦しみを暴き立てるようなことをしてもよいのか。死者を再び侵すことにはならないか。話者の感情が高ぶるままに、なにもかもしゃべってもいいのか。
被爆証言をなかなか始められなかった多くの語り部たちが抱いていたためらいの中には、「思い出したくない」気持ちとともに「死者を揺り起こすべきではない」という共感があったのではないかと思うのです。
原民喜さんの書かれた戦後の全小説を思い返すとき、もしかしたら感傷と見えかねないある種の抒情性が、思いやりや配慮から生まれているのだとあらためて気づかされます。
同時代の被爆体験を持つ文筆家が、民喜さんの「さりげなさ」を「つまらぬ古風なもの」と評したそうです。(その方の批判をしたいわけではありません。)
ペンを持つ人の社会的な役割というものはたしかにあるのでしょう。でも、やはりそれもまた多様なのではないかと思います。いろんなひとの心に届けるためには、いろいろな書き手、いろいろな書きぶりが必要だと思うのです。
ひとつ前の記事に書いた、切明さんの「きれいな桜色の骨」も、そうです。戦争を語るのに、本来、美は要りません。美化してはいけないはずです。ですが、あまりにもむごい死のありさまをつぶさに見届けてしまったとき、人は、せめて、自分のまなざしの中でだけでも花を手向けたい...そのような気持ちになるのだろうと思いました。
被爆について述べるとき。
実際に体験した人の言葉に自ずから宿る衝撃性と、私のような第三者がセンセーショナルに書きたてるのとは、全くわけが違います。
おそらく可能な限り「黒子」になるのが正しい態度なのかもしれません。私の場合は、ですが。そんなことを思いながら、被爆証言の記事を書きました。
被爆者の高齢化が進み、継承の問題がますます大きくなってきています。これまで最前線で反核・平和を唱え続けてきた被爆者の方々によって、78年間の平和がなんとか保たれてきたのではないかと感じます。
そして、主だって活動してこられたリーダー的存在が年月とともに他界して減少したことと、昨今の日本の社会情勢が日に日に傾きつつあることとが、無関係ではない気がしてなりません。
切明さんは、「平和を守る」具体的な方法をお示し下さいませんでした。自分で考え、実行するように、と仰るのみでした。
伝えること(記録し、保存し、広める)と、政治に目を配ること。大まかに言えば、このふたつなのだと思います。どちらにも恒久的な王道はないので、常に情勢にあわせてやり方を見直さなければなりません。いつまでも模索し続けて前進がないかのような感覚に陥り、情けなくなることがあっても、手探りで少しずつ続けていくことが大切なのだと思っています。平和を守る道筋には、爆弾のように一気に物事を変える特効薬は、おそらくないのでしょうから。
この記事をもって、この夏のヒロシマに関する記述は終わります。
最後に、原民喜さんの小説『火の子供』から、冒頭部分を紹介させてください。
ふっと「水色の服を着たお嬢さん」のイメージがよぎり、Kindleを検索して該当箇所にたどり着きました。
『火の子供』
〈1949年 神田〉
僕は通りがかりに映画館の前の行列を眺めていた。水色の清楚なオーバーを着たお嬢さんの後姿が何気なく僕の眼にとまった。時間を待っている人間の姿というものは、どうしても侘しいものが附纏うようだが、そのお嬢さんの肩のあたりにも何か孤独の光線がふるえていた。たった一人で、これから始る映画を見たところで、どれだけ心があたたまるというのだろう、幸福そうな、しかし気の毒げな、お嬢さんよ。僕は何気なく心のなかで、そんなことを呟いていた。と、その時どうしたはずみか、お嬢さんはこちらを振向いた。その顔は一めん火傷の跡で灰色なのだ。僕は見てしまったのだ。僕は知ってしまった。何故に、そのお嬢さんはたった一人で映画のなかに夢を求めなければならないかという理由を……。
(略)
毎朝、僕はこの部屋で目が覚めるとたん、背筋に真青なものがつっ走る。僕はほんとうに、ここに存在しているのだろうか、僕は宙に漾っていて、何処かはて知らぬところへ押流されているのではないか。こうした感覚はどこから湧いてくるのだろうか。僕がまた近いうちに、この部屋も立退かねばならぬという不安からだろうか。
僕はあの瞬間、生きていた。斃れてはいなかった。いきなり暗闇が僕の上に滑り墜ちたので、唸りながらよろめいた。僕はあの時、自分のうめき声をきいた。頭に落ちてくるものは崩れ墜ちる破片だった。だが、僕はもっともっと何かひどいものに叩きつけられたような気がした。すべてが瞬時に、とおりすぎた。もの凄い速さが僕のなかで通り過ぎたのだ。あの時から、僕はもう「突然」という言葉が奇異に感じられなくなったし、あの時から僕は地上に放り出された人間だったのだ。……僕はあの夜のことを憶い出す。広島の街は夜もすがら燃えていた。僕は川原の堤の窪地に横臥して、人々の号泣をきいていた。殆どこれからさき、どうなるのか皆目わけのわからぬ状態のなかに、不思議な静けさがあった。もはや地球は破滅に瀕していて人々は死の寸前に置かれている、そうした不思議な静けさだったかもしれない。
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