3月13日は《花幻忌》。
この月を迎えると、ひな祭りよりも先に、民喜さんの柳を撮りに行こう、と思う。
そして思い出すのが冒頭の詩。
それからしばし小説を読み、詩を味わう。
毎年同じことをしている。
『悲歌』は、初出が『歴程』昭和二十六年四月号、とのことなので、自ら命を絶たれたその翌月ということになります。『碑銘』と並ぶ最晩年の詩。
原民喜さんについてはもう書きたいことは書き尽くしたように思います。
私にとってトラウマ的に怖ろしいヒロシマの惨禍と原民喜さんの作品は密に絡み合っているので、このことについて語ると、無傷ではいられません。
そんなわけで、この記事は引用と写真で組み上げます。
シダレヤナギ(『永遠のみどり』)
平和公園の詩碑(『碑銘』)
『鎮魂歌』より
一切の感情を排した記録文学『夏の花』に対し、観想が渦巻き、半ば錯乱しかけている『鎮魂歌』。生き延びてしまった苦しみが心に突き刺さります。この2作はどちらも傑作、双璧ではありますが、教科書で目にする『夏の花』に比べて認知度が低いので、紹介しておきます。
ひとつの死/嘆きとは奥さまのこと、無数の死/嘆きとは原爆による死者のことです。
原爆ドーム〜おりづるタワー
【おまけ】鈴木三重吉文学碑@平和公園
終わりに
最近、図書館で借りてきた『ボードレールのパリ』という写真図録を眺めている。「リュクサンブール公園でよくお散歩していた、ですって!? 確か(観光で)行ったと思うけど、もっと心して踏みしめてくれば良かった…」など、ページを繰るごとに色めき立ってしまうのですが(そして疲れる)。
いつかお墓にお花を供えたいと思うの。モンパルナスの墓地に。
でも、原民喜さんのお墓なら、そのつもりにさえなれば今からでも行けるのに、行こうとしない私。文人のお墓参りにある、どこか浮ついた心持ちが、私にそれを禁じるのです。その誠実さは、無くしたくないと思う。
それにしても、ボードレール、オスカー・ワイルド、原民喜さん。みんな46歳頃に亡くなっていて…儚いね。
原民喜さんについては、マガジンに収めています。主なものはこちら。