花幻忌や永遠のみどりをくちびるに
遺せしひとに風よたなびけ / 星の汀
🌸花幻忌
毎日のトップニュースで報道されるウクライナ情勢。
核による攻撃についても言及され、遠く離れた広島にいる私が、なんだかわけもなく不安に駆られる。
こういうとき、原爆ドームの足もとに立って、空と木とドームを見上げたくなる。
今回は、詩人・小説家である原民喜の命日が近いということで、彼の詩碑を写してきました。
🍃『遥かな旅』・『死と愛と孤独』より
1905年広島(中区幟町)生まれ。
1920年代、慶應義塾大学英文科に進学、『三田文学』などに短編を発表。
1933年、貞恵さんと結婚。
1944年秋、貞恵さんに先立たれ、翌年1月、遺骨を抱いて千葉から広島へ引き上げる。
同年1945年8月6日に被爆。
その後、原爆の惨状を書き留めた『夏の花』などを著す。
妻への想いを綴った『遥かな旅』、そして『死と愛と孤独』。
「一つの嘆きよ、僕を貫け」(『鎮魂歌』)と、妻の死を悼んだ彼は、無数の人々の死を胸に、終戦後5年ほど生き続けました。そして、1951年、朝鮮戦争の勃発に衝撃を受け、線路に身を横たえたのだそうです。
友人たちへ宛てた17通の遺書。そこに記された、この遺作の詩を結ぶ「一輪の花の幻」に、こちらの一節を思います。
🌿永遠のみどり
広島の小学校でも歌われる、この歌。
当時の惨劇を知るにつけ、ただただ混乱しそうになるけれど、「死と焔の記憶に よき祈よ こもれ」は、すっと心の向きを整えてくれる言葉です。
広島市中区橋本町。広島駅から徒歩10分ほどの、京橋川沿い、原民喜ゆかりのシダレヤナギ。
🌱あとがき〜お伝えしたいこと
《花幻忌》をこのnoteに取り上げてみようと思っていた矢先の、ウクライナ侵攻。
noterのみなさんがそれぞれの考えを表明しておられるので、私の記事も少し拡大してみました。(ほんとはもっとシンプルに写真だけ載せるつもりだった。)
中でも、菊地正夫様の、平和への強い願いを受けて書いたものと言えるかもしれません。
ロシアを注視しNoを言うのと同時に、それに乗じた軍拡の動きを警戒しなければならないこと。
核のスイッチに目をやる前に。
軍拡を考える前に。
今一度、ヒロシマで起きたことを思い出していただきたいのです。
軍都でもあった広島で、それでも当然ながら、泣いたり笑ったりしながら日常生活を送っていた人々がいて。
そこに使用された核爆弾が奪ったあまりにも多くのもの―。
奥様を心から愛しておられた詩人の、静かな烈しい弔いの期間までも奪っていった経緯を通して、"軍拡" =戦争への道...その行き着く先を、喚起できればと願う次第です。
核兵器禁止条約の署名国・批准国一覧(広島市のHPより)
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