句集『広島』のこと|8月6日に
今年も8月6日を迎えました。
ここ広島では、被爆や反核についてのニュースが通年聞かれるのですが、蝉の声が響く頃になると、反戦に関するいろいろな取り組みが盛んになるに従って、報道も頻度が高まります。
NHK のような全国放送よりも、地元の民放で積極的に取り上げてくれるので、それもあって、この頃すっかり地元のラジオを聞きながら過ごすようになりました。
5日ほど前の朝の放送で、中国新聞のこんな記事が紹介されていました。
原民喜さんの句も載っているとのことだったので、図書館で借りてみました。
まだ通読の余裕がないので、つまみ読みしたのみです。が、俳句はいわゆる俳人よりも、ぜひ伝えたいという想いを持つ一般市民が詠む一句の方に力があると思う私には、《ヒロシマを伝える》という本来の目的と併せて、非常に興味深く感じられました。
🍃句集『広島』について
どういった経緯で編まれた句集なのかといえば:
1955年当時のこの序文。原子力の平和利用が世界で進んでおり、日本もそれに続くであろうことが、希望をこめて高らかに語られています。原発事故などを経た現在の私たちから見ると、もの悲しさを漂わせているのですが...。
🍃俳句のご紹介
↑↑ルビは私が勝手にふりました...違っていたらごめんなさい💦
原民喜さんについては、以前読んだ評伝および句集の掲載順から、おそらく、初めの2句は、貞恵さんの死去ののち、千葉の家をたたんで広島に帰ってこられた頃の句。原爆の句を挟んでの3句は、終戦後の苦境にあって詠んだものと思われます。このあたりは、『定本原民喜全集』を見ればわかるのでしょうね。いつか手に取ってみるかな...🤔
🍃「おわりに」より
俳句もどれも胸に重く響きましたが、最も今日にふさわしいのは、この部分かもしれません。
小さな、ささやかな積み重ねを、今後もゆるゆると続けていこう...と、決意というほどでもないけれど、意を新たにしたのでした。
🍃「大きな言葉」と「小さなことば」
作家の高橋源一郎さん。
私は彼の読者ではなくリスナーなのですが。
時折、「大きな言葉」と「小さなことば」について言及なさいます。
「大きな言葉」は、"戦争は絶対だめ"、"平和は大切"、"民主主義"、"正義"など、正しいので議論の余地なく皆が頷き、そのまま会話の終わる言葉。
一方の「小さなことば」は、もっと個人的な体験だったり考えに根ざしたもので、千人いれば千通り。
そこには、きっかけとして議論したり、考えを深め合ったりする"対話"のための空間がある。
私が"反核"とか"NO WAR"といった言葉をそれほど使わず、また使う時にはなにかためらいのようなものを感じるのは、これらの言葉の中にある"絶対的に強い"、"反論を許さない"圧力が、肌になじまないからだったのかもしれません。それらの言葉は、ゆえに、時にシュプレヒコールにもなったりするほどの強さで、使いようによっては爆弾や兵器にすらなる、怖い言葉でもあります。
一方の「小さなことば」。曖昧でも、拙くても、時に誤ってさえいるかもしれなくても、自分の言葉で伝えようと試みること。そこから生まれ、共鳴をはじめる、ささやかな"想い"です。
今回ご紹介した俳句も、「小さなことば」の、小さな小さな結晶なのかもしれません。世界一短い詩、それが俳句ですから。
それを核にして、少しずつ、みなさまひとりびとりの言葉が自然に析出し、手のひらに抱ける、ほどよいサイズの結晶に育っていく。それを心待ちにしたいと思います。
🍃「語り得ない」もの
2022.8.5 NHK R1放送の「高橋源一郎の飛ぶ教室INヒロシマ」で、ゲストの堀川恵子さん(『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』等著者)が、このようなことを仰っていました。(要約です)
それを受けた高橋源一郎さんの言葉(あらまし)
堀川さんのような、ジャーナリスト&ノンフィクション作家として、人生をかけて向き合っておられる方を引き合いに出すのはおこがましい限りですが、私もそう思うのです。
未来の平和のため、とか、政治的課題、とかではなく、突き詰めればただただ「詫びたい」であり、私個人が言葉を宛てるなら「平和な時代に生まれ育っていることの"後ろめたさ"」に尽きるのです。
それは、原爆の荒野のただ中で、自宅跡地と思われる場所にバラックを建て、商店を作り、仮の学校を囲み、ひとつひとつのステップを踏んで街を復興していった人々の血のにじむような努力の上に、自分があぐらをかいている、そのいたたまれなさ。
一方で、未来に向かっては...時代は現在敷かれたレールの上を進んでいきますから、数十年の内に戦争が起こるようなことがあれば、下り坂をしつらえたのは私たち、ということになります。
さらに言うなら、資源を使い潰し、温暖化させ、環境を破壊して、将来の世代から多くのものを奪って「快適至便」に生活している。
そう考えると、祖先からも子孫からも多くのものを受け取り、無理に奪うようなことをして、今の時代に生きているわけです。「親ガチャ」式に言うなら「時代ガチャ」。
そのことに直面すると、もうなにも語る言葉もなく、こうして生きていることの"はしたなさ"に、ただただ頭を垂れるしかありません。
それを少しでも晴らすために、ヒロシマについて書く私。それはとてもとても"しんどい"ことだけど、日常生活においては、すべて忘れてささやかな日々を享受することができるわけですから、「せめてものつぐない」にすぎません。
🍃しだれ柳の前に立つ
今年の8月6日を過ごしていて思ったのは、《未来》に向けて平和や反戦を伝える日でありながら、まずは、たくさんの人の命日であり、親子親戚友人含め、遺された人たちにとって、手を合わせる《過去》のための日である、という、とてもシンプルなことでした。
《未来》が一人歩きして、行き先のない航路をさまよわないにように、《過去》の碇をしっかりと結びつけておかなければならない、と思っています。
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