思考の深さ
今日、自分なりに思考が深くなったかな、と思えるような出来事があった。
スポーツジムでの出来ごと。
風呂場から出て体を拭き、いつも通り全ての荷物を持ち、(すぐに帰れるように)洗面室に向かった。靴を床に置いてドライヤーで髪を乾かそうとした時だった。
「すいません、ここみんな風呂上がりに使うところで、靴を持ってこないでね。ロッカーに入れてください。みんな使うんで、申し訳ないけどもよろしくお願いしますね。」
そう声をかけてきたのは、ジムでよく見かけるオーストラリア出身の外国人であった。何回か話したこともある。
その外国人から注意を受けたわけだが、当然いい気持ちはしない。僕はいつも言い返したりしないタイプなので口論に発展することはない。嫌なことがあったら綺麗さっぱり忘れようと、この人にイラつく時間がもったいないし。とそんな感じでいつもテキトーに済ます。
しかし今回の僕は違った。
純粋に、なんで注意してきたのだろう?
そう思った。
その外国人とは顔見知りで数回話したことがある。日本なら、こういった顔見知りの人に注意はしないだろう。関係悪化するのを拒んでむからだ。異国との文化の違いを知った。
確かにここは更衣室で、僕も靴の底が床につかないように、靴を横にして置いたが、持ち込む行為自体が嫌な人もいる。
そもそも自分には関係のないことで、5分もすればその場から立ち去って終わりのことなのになぜわざわざ注意する労力を僕に使ったのだろう。この注意するって、他の人のこと考えないと出来ない行動だよな、とも考えた。
ここまで思考が深くないと、
「うぜー、だまれ。」
とか
「お前に関係ないだろ。」
とか思ってしまうのが通常である。
挙げ句の果てには、
「なんだよあの外人、日本に来んなよ。」
外人が日本に来て何やってんだよ等の
人種差別的なものにまで膨らむ人もいる。
こうなってしまっては、自分自身が一番勿体無い。
物事をどう捉えられるか?解釈の柔軟性をどこまで育てられるか?
起きた物事には、必ず意味があると思って毎日を過ごせるか?
小さな、他人にとってはどうでも良い出来事でも、僕にとっては成長を感じた瞬間であった。
他人を思いやるには、どれだけ思考を深くできるかだと思う。言い換えると、どれだけその人の立場に立って考えられるか。
この外国人は、周りで使う人が嫌な気持ちになる事を考えてのことと、僕にもイラつかせないように丁寧な言葉で注意を行なった。
そこまで、外国人からすれば考えての行動ではないにしても、自分自身がこう捉えられると深い。
記事も同じである。
こんな記事誰もみないよ、と思って書くのと、1億2000万人いる中の1人がこの記事読んでくれて、心に残ってくれたら良いなと思って書くのでは違う。
アイデアは、発信しないと存在自体が無いことになる。
それは誰も知らないからだ。
とにかく行動の意味は、コレだと思う。
頭でクヨクヨ悩んでいても解決しない。なぜなら誰も知らないから。
こうしたい、ああなりたいや、自分自身を見つめ直すのはとても大切なこと。
それと同じように大切なのは、行動を起こして、発信すること。
前者に重きが置かれても、後者に重きが置かれてもそれぞれ問題に直面すると思う。
何事も初めから完璧主義だと、続かないし、嫌になる。デタラメな文章でも続けていこうと思う。
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