“自分を丸ごと愛そう”なんて、できなくて当たり前だった(読書感想文)
この本を読んで私が一番に思ったのは、“誰と一緒にいるときの自分が好きか”を考えることは、心地よく生きるヒントになるということ。読んだら心がスッと軽くなったので、忘れないように感想文をしたためました。
読んだ本
タイトル:私とは何か 「個人」から「分人」へ
著者:平野 啓一郎
出版:講談社現代新書
著者は、『マチネの終わりに』や『ある男』などを代表作に持つ芥川賞作家 平野啓一郎。この本は、著者が執筆活動のなかで“私とは何か”という問いにぶつかり、導き出した「分人主義」という考え方をまとめたもの。
分人とは
「分人」とは、相手やコミュニティに応じて生まれる人格で、「個人」を構成するより細かな単位のこと。
相手によってキャラを演じているわけではなく、分人ひとつひとつが本当の自分であり、どれかひとつを指して“本性”だとか“偽りの顔”などと思う必要なんてないのだそう。
たとえば、さまざまな色で塗られたひとつのボール(もしくは多面体)があったとして、見る角度によって赤だったり青だったりするけれど、それはひとつのボールに違いないわけで。
さらに、分人の構成比率は環境に応じて変わるのだから、その総体である「個性」は、生まれつきのものでも生涯不変のものでもない。
「家と外じゃ全然違うじゃん」なんてからかいも、「あのひと最近変わったよね」なんて噂話も、「私は昔からこういう性格だから」という思い込みだって、ぜんぶぜんぶぜんぶ、気にしなくていいのだ。
こっちがダメなら、あっちがある
本書で一番心に響いた、気持ちが楽になる考え方。“自分が楽しくいられる分人”を足場に生きる道を考えていけるのは、私にとって大きな救いに感じた。
この考え方を持つだけで、「自分なんて」と卑下したり、「自分はもうおしまいだ」と絶望したりする人はかなり減るんじゃないかと思う。
私も過去には「どうしようもなくなったら最悪◯ねばいいや」と無気力に生きたり、部屋に引きこもっていたと思えば場当たり的に行動して、反動で数日動けなくなったりという生活をしていた時期があった。それまで私の大部分を占めていた分人の性質に仕事の影響が重なって、心と体に不調があらわれ、心療内科では「自律神経失調症」と診断された。
リセット願望を持っていた20代の私に、もっといえば思春期の私に「分人主義」を教えてあげたいな。
全肯定も全否定もしなくていい
私もなかなかハードな人生を送ってきたほうで、自己肯定感がそれはもうひどく低く、つねに生きづらさを抱えて生きてきた。誰かの役に立たないと存在してはいけない気がして、常に周りの顔色をうかがったり、都合よく利用されてると気づきながらも手を貸したりしては、心身をゴリゴリとすり減らしていた。
20代後半に入り、これじゃダメだと少しずつ環境を整えることに。本書でいうところの、分人の構成比率を変えていった。コーヒーやカメラにのめり込むようになったのもこの頃。そして今の穏やかな暮らしがある。それでもたまに悪夢を見たりトラウマがよみがえったりはするけれど、普通に普通の、平穏な暮らしに幸せを噛みしめる日々。
そんなだから、“ありのままの自分を受け入れよう”とか“自分を愛そう/大切にしよう”といったフレーズは正直苦手……。
だけど、「分人主義」によれば、自分は価値のない人間だなんて落ち込む必要はなくなるし、逆に、自分を丸ごと愛せなくてもいいんだと安心できるのだ。
“好きな自分”を育てていく
自分と向き合うことは苦手だけど、“誰と一緒にいるときの自分が好きか”なら私でも考えられる。ちなみにこれは、“何をしているときの自分が好きか”にも置き換えることができる。
夫と一緒にいるときの私は、“楽しくいられる分人”のひとつ。一緒だといつも笑っていられるし、根っからのネガティブ人間でなんでも考えすぎちゃう私が「まぁいっか」「なるようになる」とポジティブに考えられることが増えた。
たとえば、旅行をするときは念入りに下調べをして計画を練るタイプ(楽しませないと!失敗できない!と必死)だった私が、いまは行きたいお店をいくつかピックアップして、あとは当日のなりゆきに任せよう、むしろそのほうが楽しそう、なんて思うようになったのだ。
自分のかわりに自分を肯定してくれる存在と出会って、肩の力がふっと抜けたような。
いま、本当に、生きててよかった。
そんなふうに、「この人といるときの自分が好き」と思えたら、その相手との時間を大切にしたり、逆の場合は距離を置いたり。それが自分を大切にすることにつながるなら、それなら私にもできるかも。この本を読んで、とても良いことを知った。
リンク
分人主義の公式サイトがなかなか分かりやすいです。中学か高校の授業で扱ってはどうでしょう。もちろん大人も、生き方や人間関係について悩んでいる方にぜひ!