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『人生論ノート』 ー幸福についてー

篠「...だが、理想で人生を全うした人間は一人もいない。ま、成功者ではね。」
健「人生の成功ってなんですか?」
篠「登っていくことだよ。一歩一歩上へ」
健「幸福とは関係なかったんだ・・・」
篠「幸福は心の問題。成功は金と権力の問題。だが、敗者や失敗者の中にも幸福な人間がいるっていうことは私も認めるがね。」

好きなドラマ監査法人からの引用です。この会話は第2話のラストで主人公の健二と健二の勤めている監査法人の理事長である篠原との会話です。公認会計士の健二は理想の監査を行うことができす、その思いを篠原理事長にぶつけます。これはその時のセリフです。篠原理事長に概ね同意です。(どうしてこの二人がこんなに馴れ馴れしいのか。それはネタバレなので一話、二話を見てください。)

さて、今回取り上げたいのは幸福と成功についてです。三木も成功と幸福の関係について人生論ノートで論じています。

成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに哀れむべきである。
                   「人生論ノート 成功について」

成功者が全く世の中に不要なわけではないと思います。社会の前進のため必要な成功はあるでしょう。三木も成功について一定の意味を認めています。

一種のスポーツとして成功を求めるものは健全である。
                   「人生論ノート 成功について」

しかし、そんな価値観に染まりすぎると成功しなければ幸福になれないと、錯覚してしまう。三木はそのことに警鐘を鳴らしていたのだと思います。

では、三木のいうところの幸福とはなんでしょう。

幸福になるというのは人格になるということである。
                   「人生論ノート 幸福について」

自分自身を失わないこと、自分自身であることこそが最善の喜びであるとゲーテの言葉を借りて三木は幸福を説いています。また、三木は人格は秩序であるとも別の場所で説いています。自分自身の人格を形成することが幸せであると。さて、具体的に真に幸福な人とはどのようなひとなのでしょうか。

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々幸福は常に外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような真の幸福はないであろう。幸福は表面的なものである。鳥が歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である

愛するもののために死んだ故に彼らは幸福であったのでなく、反対に彼らは幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。日常の小さな仕事から、喜んで自分を犠牲にするというに至るまで、あらゆる事柄において、幸福は力である。徳が力であるということは幸福の何よりもよく示すところである。
                   「人生論ノート 幸福について」

三木は実践を強調しますが、幸福においても他の人を幸せにすることができるくらいに自らが幸せにある必要があると本著の中で説いています。逆に言うとイライラしていたり不親切だったりする人はいくら本人が幸福だと思っていても真の幸福者でないと三木は教えるわけです。

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