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シミュレーショニズムについての考察記録

授業の中で、「シミュレーショニズム」という分野について考える機会がありました。
近代の美術のひとつで、過去の作品を模写したり写真に撮ったり、あるいは家電など美術に一切関係ないものを美術品として展示したりするそうです。
「それって芸術なの?」「パクリじゃないの?」と批判が飛んできそうなシミュレーショニズム。そのレポートを作成してみました。

まずシミュレーショニズムとは、近代芸術の唯一性に反対し、大衆芸術のイメージを流用や再構築を以てアプロプリエーションすることを指す。オリジナルとコピーの区別が消失し、コピーが大量に消費される現代社会の様相があるとされ、オリジナリティの概念を問い直すという視点がある。
シミュレーショニズムについて調べていくと、いくつかの美術ムーブメントに突き当たる。ひとつめがコンセプチュアル・アートである。ミニマル・アート(完成度を追求するため装飾を最小限まで削る手法)を更に推し進めたもので、構想や考えだけでも芸術とみなす概念芸術とも言われる前衛的な芸術を指す。友人の見たもので言うなら、掃除機という「屋内の掃除に使う道具」を家などでなく「アクリスのケース」に入れられ「照明」にあたることで「掃除機という道具」から「美術品、オブジェ」という概念を変化させている。つまり、視覚から訴える芸術ではなく、考え方や脳に対し訴える芸術であるとも考えられる。
ふたつめはモダン・アートである。モダン・アートは近代美術のことであり、実験精神を重視し伝統的美術様式から脱しようとする思想や様式の作品をいう。近代化の起動力を自由主義や個人主義と捉え、個人を主張した民主主義の美術といえる。これは王朝や宗教国家の権威を高める近代以前とは正反対であり、個人の価値を基盤とした実験精神はコンセプチュアル・アートに繋がると考えることもできる。
みっつめに、上記でも述べたアプロプリエーションについて説明する。アプロプリエーションとは盗用や流用を意味し、多くの芸術家が用いてきた表現方法である。オリジナルに対し変化を加え既存のイメージや物体を用いる芸術上の実践であり、既に存在するイメージの模写や変容という意味もある。ピカソの新聞紙を用いたコラージュはマスメディアのアプロプリエーションであり、シュルレアリスム(文学・芸術運動)などでもアプロプリエーションは広範に使われた。何がオリジナルで原作であるのかという問題を、大衆文化を反復することでとりあげているといえる。
シミュレーショニズムは「起源」や「無から創造する」という考えそのものを疑問・否定していることになる。キリスト教の主流を否定するこの手法は特に西欧では非難されることが多い。しかし、「そもそも作品は一から作られているのか」という創作において必ずある問題を考え直すこともできる。
全ての創作物は何かの影響を受けている。芸術家について調べると「○○の影響を受けている」など、先人の技術や表現方法を使っている情報が出てくることが多い。全ての芸術家が誰かの影響を受けているとすれば、完全な無から作り出された作品は人類で初めて絵を描いた「コミュニケーションとしての作品」か「コミュニケーション以外で初めて創り出された作品」ということになるのではないだろうか。また現代の音楽において、七つの音の並びが似ていたからといって一概にパクリとは言えない。そもそも絵や音楽のモデルとなっているのは自然のもの、もしくは人工物であるが、「モデル」というものが存在する時点で「全て一から作り出している」とは言えないのではないだろうか。例えば「花のデッサン」であった場合、「自然にある花の模倣」であり、自然のコピーということになる。もちろんこれは極端な例であり、問い始めたらきりがないため、決して鵜呑みにしていいものではない。しかし、シミュレーショニズムが「芸術で重視される唯一無二性」を疑問視し、問いかけることを目的としていたならば、作品を見た人間(特にキリスト教徒等の神を絶対視する宗教を信仰している人)が不快に思ったその感情こそが、シミュレーショニズムが伝えたいことなのではないだろうか。芸術作品に対し「こんなものはコピーだ」と感じさせることがシミュレーショニズムの目的であり、批判こそがシミュレーショニズムの勝利であると考えることもできるのではないだろうか。

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