正しいことだけ伝えても変われない
近頃、高齢者の自動車運転のミスが絶えない。
アクセルとブレーキを踏み間違えて...
という文言を何度聞いたことか。
勿論事故を起こしてしまった高齢者たちが、なぜ車を高齢になってからも運転し続けているのか、その理由はきっと様々で、止むに止まれず運転をしているのかもしれないし、車の運転をすることが好きで、運転できる自分を誇りに思っているからかもしれない。
単に何も考えず、まだいけるだろう、と軽い気持ちで運転されている方もいるのかもしれない。
この本を読んだとき、以下のような言葉が書いてあった(記憶に頼って書いているので一言一句合っているというわけではないのだが)。
車の運転を高齢になったからやめなさいと言っても、車を所有しそれを運転するということが、本人のステータスや誇りになっていることが多いので、なかなかやめられない。
しかし、高齢者になっても運転を続けるというのであれば、適性試験と医師による診察を受けてもらう旨を伝えたら、免許を返戻するケースが増えたのだという。
“自分がもう高齢で安全に運転できない。” “認知機能が劣ってきている。”という事実を適性試験や医師の診察・面談で目の前に突きつけられることになる。その逃げられない事実を突きつけられて、自分のプライドがズタズタにされてしまうことを懸念して、そんな場面に遭遇するのならいっそのこともう試験や診察など受けずに返戻してしまおうと思った方が多かったのではないか。
だから高齢になったらもう危ないんだから免許を返戻しましょう、と正論だけを言っても、なかなか応じられないのではないか。特に近しい人が助言する場合などは聞き入れられないことも多いだろう。
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これは病気に関しても言えると思う。
生活習慣病なのだから、今までの不摂生、不規則な食生活、運動不足を改めましょうね。
そんなことはきっとご本人もわかっている。
良くないことと知りつつも、それを是正できなかった背景、ご本人の気持ち、プライド...
そこをきちんと汲み取っていかねば、正しいアドバイスも暖簾に腕押しなのではないか。
私の元々の性格といい、職業柄といい、なんとか良い方向に持っていこうと、ついつい正論を並べがちだ。
...特に家族など近しい人には顕著だ。
でも正しいとされることをしたくても出来ないという苦しさも、正しいことを振りかざすことだけの残酷さも段々と身に染みてわかってきた。
じゃあ、いけないことや危ないことも許していいんじゃないですか、という意味では決して無い。
今の芳しく無い状況を、ただ正論を振りかざすだけではなく、どうしたら良くできるのか、その人に寄り添って考えていこうと思っている。
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