見出し画像

ある気づき。

 自分がいったい何者なのかずっとわからないまま生きてきた。
気づきを与えてくれたのは一冊の小説であり、そこで出会ったアセクシャルやノンセクシャルという見慣れない言葉だった。
 
 LGBTQ+。みんなどこまで理解があるのだろうか?多様性という言葉を利用しつつも内実を正確に把握している人はどれだけいるのだろう?
 私自身も以前はトランスをはっきり説明できるかどうか怪しかったし、クィアやプラスなんてなんのことやら。性指向が細分化されすぎているように感じていたし、自分がセクシャルマイノリティである自覚もなく知ることを放棄していた。
もちろん、誰もが知っておくべきことなどと思ってはいない。制度的なものは置いておき、意識的なものは当事者や身近にいるもの、それと興味のあるものだけでいいと思っている。
 
 自分が他と違うと思い始めたのはいつの頃だろう?
 私は誰と付き合っても長続きしなかった。若い頃はその原因も他責的に考えていたが、それも次第に自身の飽きっぽさや欠落した部分があるのだと考えるようになっていった。ただ、セクシャルマイノリティであるという意識は全くなかったのだ。

 セックスが億劫でしかなかった。
 嫌悪があるとかトラウマがあるとかはない。これに関しては後述するが後天的なものではないと考えている。
 誰かと知り合い好意を持ち付き合い始めてもその行き着く先に性行為はなかった。キスやハグをするだけで満たされるのだ。

 セックスが全然楽しいものと感じない。身の回りや小説映画ドラマ漫画、見聞きする限りそれはとても良いものでしかなさそうなのに私は積極的にしたいと思わない。みんなが、すべての物語がそこに向かっていくのに私はそうならない。生物の使命は命を紡いでいくことだとしたら私はそこから外れたところにいる。
 話が壮大になってしまった。ただ孤独なのは事実で誰にもそのことを話せずにいた。 

 そんなときに引き付けられるように自分の目に入ってきた言葉が『ノンセクシャル』だった。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集