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シビュラの巫女と中世キリスト教
2023年最後の記事です。たくさん下書きが残ってしまったので、何をUPしようかと迷いましたが、私にしては短いこちらの記事にしました。
デルフィの巫女の記事を書いたときに、同時進行で書いていた別の巫女たちについて。
シビュラ(預言者)
紀元前7世紀ごろになると、古代の地中海世界の神託を受け取る巫女はシビュラ(シビル)と呼ばれるようになります。
シビル(Sibyl)は、古フランス語の sibile とラテン語の sibylla を経て古代ギリシア語の Sibylla に由来するが、語源は不明とされている。
最初のシビュラはデルフィの巫女だったようですが、紀元前1世紀までにギリシャ、イタリア、レバント、小アジアに少なくとも10人のシビュラが存在しました。
デルフィのシュビラ
デルフィの巫女は、前の記事に書いたピュティアが有名ですが、ピュティアとシビュラは別の存在だそうです。
2世紀ギリシアの地理学者パウサニアスは、デルフィのシビュラは「人間と女神、海の怪物の娘と不死のニンフとの間に生まれた」と主張しました。
異伝では、アポロンの妹ないし娘とも伝えられています。
デルフィのコーリュキオン洞窟(コリキア)には、コリキア、メライナ、クレオドラ3 姉妹のニュンペーが住んでいました。
洞窟の名前はコリキアの名に由来しています。
彼女たちの父親は、北ボイオティア(現在のヴィオティア県)の川の神ケフィソス(ケーピーソス)、またはプレイストスで、彼はデルフィのカスタリアの泉に水を与えたと伝えられています。
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ケーピーソスの姿が彫刻されている。アテネ国立考古学博物館所蔵。
カスタリアの泉は、アポロンの求愛を拒んで入水したニュンペーのカスタリアにちなんで名づけられています。
カスタリアの泉の水は聖水とされ、水を飲んだ者やその静かな水音を聞いた者には、詩文の才能を宿ったと言われています。また、その聖なる水はデルフィ神殿を清めるにも用いられました。
アポロンとコリキアとの間に、リコルスまたはリコレウスという子がうまれています。一方、メライナもアポロンに愛され、デルフォスを産んでいます。
ただし、別の伝承ではテュイアをデルフォスの母としており、デルフォス は、デルフィの町の名前の 由来となったとも考えられています。
デルフィの伝承では、テュイアの祠はティアデス(ディオニュソス神の乱痴気騒ぎ=古代の宗教儀式を祝う女性たち)が集まる場所でした。
彼女はディオニュソスに敬意を表して、乱交を祝った最初の女性であると言われています。
コリキアの洞窟は、主に野生の神パーンやゼウスの礼拝の場として使用され、ディオニュソスの儀式の本拠地とも考えられています。
クレオドラは、海神ポセイドンとの間に息子パルナッソスを産んだことで知られています。
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紀元前 7 世紀のもの (大英博物館)
彼女たち3姉妹はミツバチの守護者で、女性の肉体に蜂の羽を持っており、占いの力を持っていたそうです。
アポロンは彼女たちによって、占いの力を手に入れることができたと言われています。
※神の好物は蜂蜜なので、神への供物は蜂蜜を使ったものになります。
ギリシャ神話によると、蜂蜜はメリッサ( "蜂")と呼ばれるニンフによって発見され、蜂蜜はミケーネ時代からギリシャの神々に提供された。
蜂は、デルフィの神託とも関連付けられており、預言者は時々蜂と呼ばれていた。
ドドナのシュビラ
ホメロスの最も古い記述によれば、ギリシャ北西部イピロスのドドナにはゼウスの神託所があり、その威信はデルフィの神託に次ぐものでした。
主要な都市から離れていたため、デルフィに次ぐ2番目の位階に留まりましたが、キリスト教が隆盛するまで宗教的に重要な聖域でした。
ドドナにおける神事は、後期青銅器文明(ミケーネ文明(紀元前1600年-紀元前1200年)の頃には形式が確立されていたそうです。
古典古代の時代に記された様々な記録によれば、巫女や神官たちは神聖な洞窟においてオーク(カシあるいはブナ)の葉のざわめく音によって、正しい行動をとるための判断をしていました。
新しい解釈では、神託の音はオークの枝に吊られた青銅製の風鈴に似たものが風で揺れたときに発する音であったとされています。
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ドドナにおいて、ゼウスは「ナイオスのゼウス」または「助言者ゼウス」として礼拝されました。
プルタルコスは、ドドナでのユーピテル(ゼウス)への礼拝は、おそらくはデウカリオンの大洪水の後に、デウカリオンによって始められたと記述しています。
ノアの箱舟によく似ているギリシャ神話デウカリオンの洪水は、ミノア噴火(紀元前1628年頃)によって引き起こされた地中海の大津波説があります。
— 森の夢*佐山みはる (@kinadreams) July 27, 2023
神話においてデウカリオンの洪水の原因は、アルカディアのリュカオン王がゼウスの怒りを買ったことに端を発します。 https://t.co/mxHx9N2wR9
一部の学者によると、ドドナは元々は母なる女神ガイアの神託所でした。
また、アフロディーテの母ディオーネ の神託も共有していたそうです。
(アフロディーテは、ゼウスとディオーネの子)
古典期にディオーネは脇に追いやられ、ゼウスの正妻ヘラの一面として扱われるようになりましたが、ドドナではヘラとの混同はなかったようですね。
西暦391年ら392 にかけて、テオドシウス帝はすべての異教の寺院を閉鎖し、すべての異教の宗教活動を禁止し、ゼウスの聖域にある古代の樫の木を伐採しました。
クマエのシュビラ
クマエのシビュラは、イタリアのナポリ近郊にあったギリシア植民地クマエのアポロン神託を司る巫女でした。
クマエは、紀元前 8 世紀に設立されたイタリア本土で最初の古代ギリシャ植民地だったそうです。クマエの入植者は海洋と商業の伝統を継承しながら、政治的、経済的に発展していき、最も強力な植民地になりました。
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クマエからイタリアにギリシャ文化が広まり、ギリシャ語の方言とエウボイア文字(ギリシャ語アルファベット)が導入されました。エウボイア文字はエトルリア人、ローマ人を経て、現在のラテン文字になりました。
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ローマに近かったことから、クマエのシビュラはローマ人の間で最も有名になりました。
クマエのシビュラは「運命を歌い」、預言を樫の葉に書いていたそうです。
クマエには2世紀にはキリスト教が存在していたことがわかっています。
4世紀末にはクマエのゼウス神殿は、キリスト教の聖堂に改築されました。
『シビュラの書』
ローマで最も尊ばれたのは、クマエのシビュラとエリュトライのシビュラでした。
クマエのシビュラは、紀元前6世紀に『シビュラの書』をローマに持ち込んだ(売り込んだ)と伝えられており、エリュトライのシビュラはトロイ戦争(紀元前12 世紀頃)を預言したと言われています。
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ローマ元老院は『シビュラの書』を厳重に管理しました。
ローマが『シビュラの書』に求めたことは、未来に対する予言ではなく、激甚災害を避けるためや、彗星、地震、石の雨、伝染病といった不吉な驚異を祓うために必要な宗教儀式を見出すためだったそうです。
神託そのものは、悪用の恐れありとして民衆に公開されることはありませんでした。
408年、西ローマ帝国の軍人スティリコは『シビュラの書』の焚書を命じました。その理由はアラリック1世の攻撃に直面し、『シビュラの書』が統治者たちへの攻撃材料として使われていたためとされています。
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手にパテラを持ち、ライオンが引くビガに乗って描かれています。
偽書『シビュラの託宣』
紀元前140年以降少なくとも数世紀にわたり、『シビュラの託宣』という書物があらわれます。
シビュラたちの神託をまとめた書物としては、伝説的起源を持つ『シビュラの書』が有名である。
しかし、『シビュラの託宣』はそれとは全く別のもので、『シビュラの書』の名声にあやかるかたちで紀元前140年以降少なくとも数世紀にわたり、ユダヤ教徒たちやキリスト教徒たちによって段階的にまとめられてきた偽書であったことがわかっている。
これらの託宣はもともと作者不明のものであったため、ユダヤ人やキリスト教徒たちは、自らの布教のために適宜、修正や拡大をする傾向があった。
現存する『シビュラの託宣』は、重複する分を除いて12巻で構成され、時代も異なるさまざまな書き手の異なる宗教的概念に従って作られました。
歴史的な関心はユダヤ教部分に強い一方、キリスト教部分はやや弱いことも指摘されていますが、どちらの文書にもローマに対する強い敵意が共通しているとも指摘されています。
要するにプロパガンダが目的で書かれているのですが、匿名の上に書き手がユダヤ教徒だったりキリスト教徒だったりしているため、どちらにも解釈できる使い勝手がよい偽書だったわけです。
そのため、旧約偽典や新約外典に含まれ、グノーシス主義、ギリシア語を話すユダヤ教徒 (Hellenistic Judaism)、原始キリスト教などに関する貴重な情報源の一つとなっています。
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(『シビュラの託宣』第8巻)
4世紀の神学者ヒッポのアウグスティヌスも、著書『神の国』の中で『シビュラの託宣』の一部を引用し、彼は「異教の巫女までもがイエスの到来を予言していた証拠」としました。
これが中世ヨーロッパで広く知られる要因となったそうです。
アウグスティヌスが一部引用した第8巻は、前半は2世紀のユダヤ教徒が書いたものと判明しており、ローマへの敵意からネロの再来を期待する記述が見出されていますが、後半はキリスト教徒の手によることを疑う余地がない記述になっているそうです。
イタリアでルネサンス(14世紀 - 16世紀)が花開いた頃、人文主義者マルシリオ・フィチーノは『キリスト教について』で2つの章を割いて『シビュラの託宣』を論じていたそうです。
フィチーノが参考にしたのは、初期のキリスト教著述家で、ローマ皇帝コンスタンティヌス大帝の子の家庭教師だったラクタンティウス(240年頃 - 320年頃)の諸著作でした。
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[補]楽園にナツメヤシを持ち込んだ者を発見! ラクタンティウス(後245/50生-325沒)らしい(ラッセル『天国の歴史』)。アフリカ出身の彼は、当然、ナツメヤシを知っていた。「ローマの勝利のシュロと、キリストがエルサレムに入ったときその前に撒かれた栄光のシュロに結びつける」。 pic.twitter.com/mRG1jQ3SL6
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) December 10, 2023
ラクタンティウスは、ラテン語を話す北アフリカ人(ポエニ人またはベルベル人)だったと言われています。
「ベルベル」という名前は、フランス語の berbère を組み合わせたもので、ギリシャ・ローマ語の「野蛮人」という用語に由来しています。
ポエニ人は、ハム・セム語族に属します。
シュビラの巫女とミケランジェロ
シビュラは、ルネサンス期に美術上のモチーフとしても好まれました。
シエナ大聖堂の舗床には10人のシビュラが描かれ、彼女たちにはラクタンティウスの著書から引用された碑銘が添えられています。
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バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画には、ミケランジェロが描いた、デルポイのシビュラ、リビアのシビュラ、ペルシアのシビュラ、クーマエのシビュラ、エリュトライのシビュラのフレスコ画があります。
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偽書『シビュラの託宣』によって、異教の巫女たちがキリスト教会に受け入れられていたことが、システィーナ礼拝堂のこれらの絵に現れています。
しかし、古代の神を無差別に悪魔に仕立てたキリスト教会が(しかも占いを禁じているのに)、予言をする巫女たちを受容した経緯は興味深いですね。
しかし、だからこそ、聖書記者たちは異教の神を無差別に悪魔に仕立てあげることになった。ここに、牡ヤギと牡ヒツジとを区別する必要が生じたのである。かくて山羊はすべて悪魔の表象になって地獄に落とされ、羊は善良なるキリスト教信者の表象としてすくいあげられることになった。 pic.twitter.com/1uYC68pYMn
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) November 4, 2022
今日はこのへんで。
皆様、よいお年をお迎えください。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。