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「自分のため」と「人のため」のバランス(ランニング哲学)

■バランスについてお話

ヨガ講師そして心と体のダイエットコーチの斉田舞です

今日は自分のためにと人のためにのバランスについて
お話をしていきます

皆さんそんなこと考えたことありますか
どうでしょう

私は、ランニングしてる時
結構頭の中でこういう哲学的なこととか
取り留めのないことを 自問自答したり
一人作戦会議をしたりしてます。

ニワトリか卵みたいなやつね!笑

■自分を大切にしましょうの風潮

ぐるぐるぐるぐるいろんな話を妄想したりとかしています

今日はそんな中で最近また感じたことです!

よく、自分のためにとか
自分を大切にしましょうとか
自分を優先にしましょうとか
そういうワード、フレーズって、、
ここ最近特に多く聞くというか流行っている風潮に感じませんか?

どうでしょうね私は最近特にそういう言葉、、、

コロナの後かなぁ
結構多く聞くようになったなって感じています

私の意識がそうなってるから
それを アンテナ立ててキャッチしてるのかもしれませんが
そう感じます

私も、8年前にダイエットコーチングを始めた時なんかは
結構「自分を大切にする ダイエット」
っていう講座をしていました。

そもそも、私がお伝えするダイエットコーチングって
「自分を大切にするダイエット」なんですが、、
まあそれはさておき。

人のためにって
これも私すごく大事だと思うんですよ 。

自分のためにもだし
人のためにも
どっちも大事じゃないですか。

これって共存できるのかなぁとか
そのバランスはどうなんだろうとか
あなたは、
そういうこと を考えたことってありませんか?

■自己と他者のために行動するバランスの重要性

結論から言うと。
私が感じたことはね。

自分で納得して
自分が「そうするんだ」っていう 自分の意思のもと
自分の合意のもとでやるんであれば
そのバランスって、
人によって違うと思うし
それは納得することだし
結局自分で決める、
決めてどっちもやれば
それは すべて自分のためになるんじゃないかなって思います。

何言ってるかわかりますかね ^^!?

例えば、、、

人を大切にする
人のためにっていうことって
人に喜んでもらう
人を喜ばせる
人が笑顔になるとかね

それって、めちゃめちゃ自分にとっての喜びになりませんか ?

それって、自分のためにもなりますよね^^!

子供を私は育ててもう大きくなりましたが、、、

子育てって 、
まさにこれがすごくわかりやすい例じゃないかなって思うんですよね!

親の愛情って、一般的には、
見返り求めない、、一方的な自分からの愛ですよね。

よくよく考えてみたら、
これ自分はやりたくないんだけど
子供のためにやるっていうことまあまあ多いですよね

本当は、作りたくないんだけどご飯を作るとか。

私は自分が食べたいから食べたいものを作っていたので
全くその感覚はなかったけど。(笑)

例えば、、

お金ね!
学費ってめちゃめちゃ高いじゃないですか!

うちは、今年ようやく終わりましたが(笑)

学費ってめちゃめちゃ高いじゃないですか!

本当はねこの何百万とかあったら
自分のために使えるじゃん!

自分が欲しいもの買ったり
旅行行ったりとかできるんだけど

でも子供が、 あの学校に行きたい、やりたいっていうことのために
それを使う。

これ、いわゆる自己犠牲というか、人のためですよね。

あとは自分が本当は疲れてるから、休みたいとか寝てたいとかね。

本当はこういうことをやりたいんだけど
でも子供の予定があるからとか
子供にこうしてほしいって言われたから
じゃあ仕方ないけど、子供のための時間にしようかなとか。

そういうことも小さい時なんかは
まあまあよくあり ましたよね。

そんな時って、
口では
「もう本当に!やりたくないんだけど、子供のためだからさあ 」
ってね。
「仕方ないけど」って言いながらもそれをやるってことを
自分で決めてますよね。

自分で選択してますよね 。

本当に自分で決めてなくて、自分でやらない、やりたくないって、本当に本心で思っているんだとしたら
いくら子供が学校に行きたいだとか
子供がこれ食べたいだとか
この時間作ってとか迎えに来てとか
そういうのがあったとしても
自分で決めて なかったら自分でやりませんよね!

だから口では仕方ないなとか言いながらも
それをやってるってこと自体が
「自分で決めてる」わけじゃないですか 。

そう。全て自分で選んで自分で決めてること。

だから、それを自分の合意のもとで、
っていうふうにしっかりと納得してやれば
それは子供のためにやってるんだけれど
結局子供がそれで喜ぶし
このためにやってることによって
自分が嬉しいことになるはず。

■自己犠牲と自分を大切にすることのバランス

だからといって、
そんなことを言っても、
人のために、それが、子供じゃなくて家族じゃなかったとしても
ビジネス仕事のことだとしても同じ。

仕事って人に喜んでもらうことじゃないですか!

それをやるために、自分自身を犠牲にするとか、
自分の ことをないがしろにしてまで、できないんです。

とか、やっぱり自分を大切にする、、自分のために、優先にしたいんだ!
と思うこともあると思います。

そのバランスについてなんですがね!

人に喜んでもらうとか
人の役に立つとか
人のために時間を使うとか
そういうことを人にする時。

例えば家族においしいご飯を作るとか、
そういうことをする時って
自分自身に余裕がないと できなくないですか?

ある程度余裕ないと、
自分がカツカツだったとしたら、
本当はやりたいんだけど
ご飯作る気力ないわーとか。

そんな力もないわーとか。

具合悪いわーとか。

人に本当はこういうことして喜んでもらいたいんだけど
自分の状態がもう不安定で
もうメンタルがた落ちで
そんな余裕ないんだわー!とか。

今自分がすっごいショックなことがいっぱいあって、
もうボロボロなのに、 人のためできないんだー!みたいなね。。。

そんな状態だと、なかなか自分でできないんじゃないかな人間。

私はそうですね 。

だから私は自分を大切にする
自分をいたわる
自分を優先にするっていうことは

強いて言えば、人のために自分を使える状態にする。
人に喜んでもらうとか 、人のために役に立つとか、人に時間を使うとか
自分の労力を使うとか。
そういうことして喜んでもらうために「自分を整えておく」

そう !そのための自分を大切にする、っていうことじゃないかなって思うんですよ。

■他者への喜びと自己整え

人の究極の喜びって、
やっぱり人に 喜んでもらうことじゃないですか!

ヨーガスートラっていう、ヨガの根本経典にも書いてるんですが、
自分のことよりやっぱり人のことを考える
人に喜んでもらう、
人のためにって思っていることが、人の幸せだ!みたいなね。
簡単に言うとそんなことを、最初の方に書いてる部分もあるんですよ。

離欲、欲を離すっていう。
それもヨガの教えの 一つにあります。
いっぱいあるうちの一つ。

離欲って、、、欲を全くなくして、とか、そういうことではないんですよね。

人ってやっぱり欲もあるし。

でも、その欲っていうのは、
「人に喜んでもらいたい」っていうこと自体も欲じゃないですか 。

だからもし、欲を持つとしたら
その人に喜んでもらいたいって欲だったら
さらにいいですよね。

■欲望と他者への喜び

私は、それをやるレベル
というかその域に自分を達してあげるためにも
自分自身を整えてあげること
大切にすること
いたわること
それって大事だと思うし、

時には自分の状態が悪いなっていう時は
そんなことを考えないで、、、

これって時と場合によると思うんです。
その人の状況とか、、精神状態、精神度合いとか、 成熟度合いとか、成長度合いとかによると思うので

「今はそうじゃないよー!」っていう時は
まず自分をいたわる、自分を大切にする、そんなことを考えてあげてみてね!

そんな、 取り留めないことを思ってました、
走ってる時とか、結構私、いっぱいこういうことを 考えてます^^

なんかニワトリと卵どっちが先?みたいなね!
哲学的なことを思想家なのかと思うぐらい、
いろいろ考えてて
それを言語化しようとすると
なかなか出てこなかったりするんだけど。

でもあえてこうやって言語化をするっていうことによって
自分自身も腑に落ちるし
取り留めのないこととか、どうなんだろうと思っている方が
あ !そうか!!
みたいに一つヒントになってくれたら嬉しいなーって、
そんな思いでお話をしました。

長い話でした2倍速で聞いてねー!もう終わりか!笑

じゃあまたね!

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