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最果ての地、斜里町から〜北のアルプ美術館


串田孫一さんのエッセイを読んでから、行きたかった北のアルプ美術館に行ってきた。

思いの外良い場所でまた訪れたい場所になった。
2日連続で訪ねてしまった。

場所は斜里町

知床半島の根っこにある斜里町にある。

http://www.alp-museum.org/


知床斜里駅から車で3分
(徒歩20分)
網走駅から車で40分

現在地は千歳市
東京からは約1,467km


2022年で開館30周年を迎え、
雑誌の名前を冠した美術館はここにしかない。

創設者 山崎猛氏

北のアルプ美術館を作ったのは、山崎猛さん。

http://www.alp-museum.org/pages/yamazaki_prf.htm

文字が小さいので以下に再掲。

みどり光る6月
北国躍動の季節に
永年の夢であった
私設美術館をオープンしました
私たちの地球
大切な自然
アルプが語り残したものを次の世までも伝えたい・・・・・
私の心です
1992.6
北のアルプ美術館:山崎猛

http://www.alp-museum.org/pages/yamazaki_prf.htm

略歴

1937年 北海道乙部村(現乙部町〉に生まれる。
1951年 斜里町に移り、現在に至る。
1960年 以来、オホーツク海沿岸から知床半島にかけての自然を撮影している 。
1980年 『日本の灯台』撮影開始 。
1992年 「北のアルプ美術館」開設。

会社役員、環境庁自然公園指導員などを務めるかたわら、写真撮影を行っている 。

個展
1980年「わが氷海と知床」(東京)
「華麗なるオホーツク」など流氷の写真を中心に各地で開催。

著書
『流氷の世界』 岩崎書店共著
『THIS IS HOKKAIDO』 日本放送出版協会共著
『氷海』 山と渓谷社
『森をつくったのはだれ?』 大日本図書共著
『日本の灯台』 (株)ぎょうせい
『樹の歳時記』
『オホーツク 流氷の季節』 里文出版

作品発表
毎日新聞、東京新聞、NHK、JAS機内誌「アルカス」など。

住所
〒099-4114 
北海道斜里郡斜里町朝日町11-2
Tel.01522-3-0000
Fax.01522-3-4007

http://www.alp-museum.org/pages/yamazaki_prf.htm

山と自然讃歌の文芸誌
『アルプ』

アルプは、英語では「alp」、フランス語では「alpe」、ドイツ語では「AIpe」と表記され、いずれもスイスの高山山腹の夏季放牧場を意味する本来の語義があります。

https://kotobank.jp/word/

アルプ本来の語義は、スイスの高山山腹の夏季放牧場。

串田孫一が、山の文芸誌として『アルプ』を創刊したのは、昭和33年。

アルプ」は、哲学者の串田孫一が代表となり、詩人の尾崎喜八をはじめ、版画家の畦地梅太郎、作家の深田久弥、写真家の内田耕作等が中心となって、昭和33年(1959)に創刊された文芸誌です。以来25年間、一貫して「自然賛歌」の世界を志し、画壇や文学界などの山を愛した作家たち約600人の絵、写真、紀行文などを発表し続けてきました。単なる山岳雑誌とは方向性を異とし、四半世紀もの間「自然に対しての畏敬の思い」を貫いた「アルプ」は、精神性の高い雑誌として全国の読者に影響を与え続け、自然を愛する多くの人々のつながりを作ってきました。

 そして昭和58年(1983年)。時代、経済の大きな変貌の中、雑誌の役目は終わったと「アルプ」は300号をもって終刊しました。最期に串田孫一代表は「遠い未来の山人へ」と題し、自然破壊と機械文明がもたらす人間の心のゆがみに対して、文学や美術がいかに無力であったかを痛恨の念をこめて語っています。

北のアルプ美術館サイトより

『自然破壊と機械文明がもたらす人間の心のゆがみに対して、文学や美術がいかに無力であったか』

重たい言葉だと思う。
この時すでにこんな思いを持つ人がいて、この時と比べると今はもっとその無力感が増している気がする。

今こうしてnoteで素敵な人たちと交流をさせてもらってはいるのだけれど、インターネットがなかった時代を選べるならば選びたい。

世界は狭かったかもしれないが、その分、文学や美術が世界を広げてくれたのではないだろうか。

北のアルプのABC

北のアルプ美術館に『北のアルプのABC』という部屋がある。

(開館)30年の歩み展

アルファベット全て書くと日が暮れてしまうので、NOTEにちなんで後でこの4文字を紹介したい。

見どころ

『アルプ』300号が並ぶ部屋

ここは見るだけで楽しかった。
とても全て紐解く時間はないけれど滞在して、記念の月の『アルプ』を読む旅というのもしてみたくなる。

自分の生まれた年月を探すのも楽しい

串田孫一氏の書斎

東京都小金井市の書斎を忠実に再現した部屋。
ガラスの窓から見る仕立てで中には入れない。

本棚の本の並び順までも忠実に、現物と共に移動してきた書斎。

6年の歳月!をかけて作られた。
すべて写真に収め、ブロックごとに分けダンボールに詰めて東京から北海道へ持ってきたそうだ。

ガラス張りで中には入れない
来館者に動かされたら困るからかな
全てそのまま
本の並び順も全て再現
このマニアックさ大好き
ある意味時が止まった書斎

白い恋人の缶がある
虎屋の羊羹の箱などもあるらしい
こういうマニアックなの好き

ミニマリストブームだけれど、
もし串田孫一氏がミニマリストだったら、ここに同じように再現してもつまらない。

真っ白い部屋にシンプルなデスクと椅子にMacBookみたいな。
味わいや趣はなさそうだ。

物ってその人がいた時の温度感や空気を伝えてくれるのだなぁと思った。

串田孫一氏が使っていた時をそのままに。

(北のアルプ美術館サイトより転載)
書斎は管理住宅側にある
(北のアルプ美術館サイトより転載)

『アルプ』と美術館の創設者、山崎猛氏の出会い

その前に、山崎猛氏とアルプの出会いをご案内。

Boyhood
山崎猛さんの少年時代

山崎猛さんは15歳で、乙部町から遠く離れた斜里町へ丁稚奉公に行った。
元旦以外休みなしという環境。
勤め先は田中商店。

24時間以上かかる汽車の旅
(画像は『北のアルプ』から)


釧網線の車窓からは、海を埋め尽くす、夕氷が見えました。
真っ白な雪景色、生まれて初めて見る流氷。地球の果てに来てしまったような孤独を感じながら、斜里町での新たな生活が始まりました。

『北のアルプ』より

今、車で訪れても遠いと思う場所。
根室半島と知床半島の付け根と(知床半島はクルマで先端に行けないから)、宗谷岬は本当に地の果て感がある。

15歳で親元を離れて遠くに来た山崎少年。
寂寥感、孤独感、いろんな思いがあったんだろうな。

CHANGE
変化

山崎少年が斜里町で働いて5年。
手違いから、『アルプ』と出会う。

十勝の田中書店に届くはずの『アルプ』創刊号が間違って斜里町の『田中書店』に届いたのだった。

『北のアルプ』より

この手違いが、山崎少年の人生を変えたのだ。

では、以下『北のアルプのABC』からnoteの頭文字を。

NATURE
自然と共に

北のアルプ美術館の開館に向け、4年の歳月をかけて、白樺など約400本の植樹が行われました。
植樹された木々は成長し、現在は美術館の来館者や地域の人々を癒す憩いの場となっています。北のアルプ美術館は、ボランティアの方々の力を借りながら、この緑を守り育てています。

北のアルプ美術館より

私が訪れた2日目。
お年を召した男性と女性がアプローチの落ち葉を掃除していらした。
ボランティアだろうか。

現在の館長、山崎ちづ子さんは、
除草剤も考えたけれど、踏みとどまった。

人間にとっての楽ではなく、ちょっと大変だけど、手間暇かけて、虫や鳥や動物たちの小さなサンクチュアリを残していこうと思う。

北のアルプ美術館より

草取りが大変だとこぼすと、除草剤まけば?って確かに言われる。

でも両親は嫌がるし、私も嫌だ。
だから、館長の気持ちは理解できる。

OPEN
開館の日

1992年6月13日、北のアルプ美術館は開館しました。
開館の日は、朝から雨が降っていましたが、午前10時前には光が差し込み、まるで天気までもが、北のアルプ美術館の開館を祝ってくれているようでした。

北のアルプ美術館より

この頃の私は、まだ山登りの楽しさを知らない大学生だった。
林間学校や高校の遠足で、山は“行かされる“ものだった。

後に、山登りの楽しみを知った私は幸せだと思う。

TIMELINE
美術館の歩み

見えにくいかもしれないが、拡大したら読めるだろうか。

EDITING
同人誌『吠える』


山崎猛氏は『アルプ』の影響を受けて、文章を綴る喜びに目覚め、町の高校教師や電電公社、職員、銀行員が同世代の友人たちと同人誌『吠える』を作った。

3年にわたる活動で、7号を出して休刊する。

アルプの哲学

P

PHILOSOPHY
アルプの哲学

ここに創刊された「アルプ」の性格については、私どもは何も宣言しない。ただ、雪線近いその草原が、人の住む街の賑わいから遠く静まっているように、「アルプ」もいわゆる雑誌の華やかさや、それに伴う種類の刺戟性からは、距ったとのだとは言えるし、自から願っている方向も決まっている。ここよりもなお高い山へ進み、山から下って来たものが、荷を下ろして憩わずにはいられないこの豊饒な草原は、山が文学として、また芸術として燃焼し結晶し、歌となる場所でもあると思う。
従って高原逍遥のみに満足する趣味を悦んでいるものでもない。

1958年2月アルプ創刊号「編集室から」


北海道の東の果て


北海道の東の果て。
根室半島や野付半島、そしてここ斜里町。

今の時期、美瑛や帯広,旭川のガーデンも美しくて素敵だ。

毎夏また行こうか悩みつつ、

『今は遠くに行っておこう』

という気持ちになっている。

歳を取ったら、遠出がキツくなるだろう。

遠くまでドライブしても、
私は何の変哲もない車窓の風景だけで満足で幸せ。
(ドライバーには感謝)

もし一通り、北海道の有名なところを回ったら、その後はこういうところにも行ってもらえたらと思う。

北のアルプ美術館写真あれこれ

入り口
入り口から左手を眺めたところ
正面の窓辺で麦茶を出していただいた
北のアルプ美術館入り口


居間
書斎と違って完全な再現ではないらしい


ここも先に入れないからこの距離での撮影。

麦茶をいただいた場所
麦茶をいただいた建物からの眺め
山のパンセ
ゆっくり読みたい
文房具52話
この本欲しいなあ

光って上手く撮れなかったが串田孫一氏の絵も飾ってある。

三本槍/串田孫一
岩尖る/串田孫一
美術館を入ったところ
2階の展示室
2階の廊下


今日は昼から北海道時代の友達とランチ。

午前中はのんびりなので、備忘録を書いてみた。

戻ったらまた串田孫一氏の随筆を読みたい。

そしてこの本もまたゆっくり紐解きたい。

斜里町は遠い。
なかなか訪れるのは難しいかもしれない。

少しでも参考になれば。。

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blanche
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