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目を向ける先を変えること

ー母の病院の待合室にてー


ずいぶんと前に、
自律神経が交感神経に入りっぱなしになり、
ずっと身体の痛いのが取れなくなった。
痛くない状態が分からなくなっていた。
ある時振り切れて、
副交感神経側に反動で振り切れたことがあった。
力が入らなくなった。

その時、
自分の心の声を聴くように
難しいなら、身体の声を聴くように

というアドバイスをもらった。

「心の声を無視して走りすぎて、身体が拒否したのよ。」

その方は言った。

前にどこかで書いた気がするが、

それまでの私は、何か嫌なことがあったら、すぐにポジティブ変換していた。

大丈夫
何とかなる
できる
何事も心の持ちよう


大変だったり、
辛かったり、
悲しかったり、
怒りだったり、
瞬殺して、前向きに変換したつもりが、
それが実は消化されてなくて、
チリツモになると、
膨大なストレスになって溢れるのだ。

ただその心の声が私に届かないと、身体に出るらしい。

なるほど。
理解した。


でも、『君に成功を贈る』
中村天風先生の本を、

実践しようとしていた私。

マイナスな言葉は言わないように頑張っていた。

天風先生の言葉に納得していたのだ。

「絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さを、持っていなければだめなんですよ。」
中村天風

https://metalife.co.jp/business-words/2152/


「なにか悲しいこと、辛いこと、そのほか消極的な出来事があったら、努めて「笑う」ようにしてごらん。どうだい、これならあなた方でもできるだろう?」
中村天風

https://metalife.co.jp/business-words/2152/

「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。」
中村天風

https://metalife.co.jp/business-words/2152/



天風先生の「痛いと言えば治るのか。つらいと言えばつらいのが治るのか
(治らないんだから言うな)がいつも頭にあった。

疲れたと言ったって、嫌だと言ったって変わるわけでない。
その通りだ。

探したら、書いている方がいたので以下引用する。

ヒマラヤの奥地で悩みに明け暮れていたころ、天風は師であるカリアッパ聖者に、しきりに不調を訴えた。
 「もう駄目だ」「どうにもならない」と叫び悶える天風に、聖者は言う。
 「そんな言葉を使っていると、生活機能が乱れて取り返しのつかない事になる。もちろん自分が不幸になるばかりでなく、それを聞いた人までも駄目にしてしまうのだぞ」
 天風は反論する。
 「痛いから痛いというんです。辛いから辛いというんです。それを言ってはいけないのですか」
 「痛いと言えば治るのか。つらいと言えばつらいのが治るのか」
 「……」
 「治るのでなかったら、そんなことはいうな」
 「でも痛いのは痛いのです」
 「痛いのは仕方ない。その後で駄目だとか、死にそうだとかいう名。それは」自分も殺し他人までも陥れることになるのだ」

https://itazurakko713.fc2.net/blog-entry-576.html


初めての転勤で、
理不尽な取引先
パワハラ上司
パラパラ同僚
納得いかない仕事
その他諸々

それでも、マイナスな言葉は言わない。

心だけは病ますまい!
嫌だと言ったって別の場所に異動できるわけでもない。
前向きに積極的にいくんだ・・・・!!


と疲労困憊の中でやってきた。

が天風先生と私は違った。

こちらに天風先生がどんな方か書いてある。

16歳で右翼の巨頭、頭山満が率いる福岡の玄洋社に預けられ、怒った時の狂暴さから「玄洋社の豹」と渾名される。同年、頭山の推薦で日清戦争に備えた陸軍の偵察に一年間同行し、中国語を修得。帰国後、学習院に入学するがすぐに中退。日露の国交が悪化しはじめると、中国での経験を活かし、26歳から軍事スパイとして活躍。日露戦争中の満州、蒙古で暴れ回り、「人斬り天風」と恐れられる。3000人から選抜された113名のスパイのうち、帰還したのはわずか9名だった。

https://www.bookclubkai.jp/portfolio/people76/


ものすごい訓練を耐え、戦争に送り込まれた天風先生と私では元が違う(苦笑)。
そしてきっと学びがハンパだったに違いない。


前向きに、心が病まなければ大丈夫!

それが、途切れた時。

心は病なかったが、身体が動かなくなってしまった。
疲労困憊😮‍💨だった。

心を病まなかったのは、
心を病むくらいなら、
仕事は辞めればいい
と思っていたから。 

今もそれは変わらない。

それから、自分の感情を瞬殺することはやめた。

だけど。

不器用なのでうまくできない。

今度は、自分の感情や体の声を取りすぎている気がしてならない。
というか、聴きすぎると、
何にもしたくない
怠け者
がそこにいる。

昔は何故あんなに頑張れたんだろう。

でも私も歳をとり、気力と体力もあの頑張れた時と違うのも事実。

無理ができなくなったのかもしれない。


年末に、和室の雨戸を開けた時、
目の前のまゆみの木の葉が落ちて薄赤色の実だけになっていたことに気づいた。

ベランダに洗濯物を干した時、木槿の葉がすっかり落ちていたことに気づいた。

夏の終わりくらいまではまだ庭をちゃんと見ていた記憶がある。

でも私の中で秋の庭が欠落していた。

しんどいな。

ということをちゃんと分からないと走りすぎちゃうから、
ストレスが体に出るから、
体に意識を向けすぎていたのかもしれない。


だから、意識をもっと外に向けよう。

枯れた枝に葉っぱがついていた
陽射しは春っぽくなってきている
図書館脇の建物
夏は立葵が咲いていた場所
図書館の駐車場のパンジー
帰り道の椿
鮮やかで綺麗

こんな風に、何気ない場所にも、心を柔らかく元気にする力がある。

風は冷たくても、心は元気になった。


あとは物理的に体を休めたい。

散歩もいいと思う。
いろんなものに目を向けられる。

先日の有給休暇は母のインフルで潰れたから、母の通院の前にちょっとだけ図書館に歩いて行って予約した本を借りてきた。
歩くことも兼ねて。
予約したことは、はるか昔で忘れていたが最近順番が来たと連絡が来たからちょうど良かった。
それがなかったら今日こそ寝たいと思ったがやはり朝から看護師さんは来るし、他の電話もくるし無理だった。

借りてきた本。

◆おひとりさま日和
著者:複数6名

◆九十八歳、戦いやまず日は暮れず
著者:佐藤愛子

あとは図書館で目に留まった本。

◆心ひだひだ
著者:室井滋
一話目、面白かったから何となく。
エッセイと簡単な心理テストが毎話ついている。


散歩ができたことも幸せだし、
今日は風が強いけれど、シーツも洗濯して干した。
気持ちいい。

母の診察では、先生から、
「いつもニコニコ笑顔がいいね。笑顔は大事。」と言われた。
母は静かで今日も訪問看護の看護師さんにニコニコしていた。
通院は大変でくたびれるけれど、やっぱり生きていてくれることは幸せなことに違いない。

持病のせいで会話はしにくい。
言葉を発するのも難しくなるようで・・・。
言葉に頼らないコミュニケーションをとっていきたいなと思った。
(これから考える。)

外に出たがらない母。
病院が終わり、日は暮れてしまったが、先の写真の椿の場所とその先の蝋梅を見せたくて車で遠回りして窓から見てもらった。
本人は早く帰りたかったかもしれないから、私の自己満足・・・。

帰宅して、弟がいたから母が家に入るのを手伝ってくれた。
ご飯を炊こうしたら、要らないという。
おみおつけを作っていた。

彼はお鮨を取っていたのだ。
なので、夕飯はかなり楽ができた。

今も弟が自由時間に入るように言うので洗濯物を回しながら、これから半身浴をするつもり。

その後まだ起きていられたら予習をしたい。

でも眠たい。
最近まだ眠い。
睡眠が足りないのか、
ストレスによる乖離か。

考えすぎず、眠かったら寝よう。

**********

くりすたるるさんの言葉

私たちはすでに幸せである

今年も大切にしたい言葉。

私は今日も幸せであるー


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blanche
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