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山や自然、随筆が好きな人におすすめしたい串田孫一ワールド

#本代サポートします (企画)

かなこさんの#本代サポートします企画に参加した。

もともと読ませていただいているMrs.chocolateさんのnoteで知った企画。
もともと感想文が宿題で一番苦手なのに参加してしまった。

選んだ本

『山の文芸誌「アルプ」と串田孫一』中村誠著

中村誠[ナカムラマコト]
1954年、愛知県生まれ。立命館大学文学部哲学科卒業、名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。元愛知県立高等学校教諭(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784787292254

多才な哲学者、串田孫一さんが創刊した山の文芸誌「アルプ」。

昭和33年から昭和58年までの25年間の間に300号を数えた並外れて美しく、並外れて高価な雑誌。


この文芸誌について、串田孫一さんやアルプに関わった人々と親交があり、編集にも携わっていた山口耀久さんが既に本にしている。

(山口耀久さん)
1926年、東京生まれ。十代のなかごろから登山を始め、戦争末期の44年に有志と獨標登高会を創立し、その初代代表を務める。敗戦の前後は谷川岳の岩場に通ったが、その後は八ヶ岳をはじめとして、後立山不帰2峰東壁、甲斐駒ヶ岳摩利支天中央壁、利尻岳西壁などに開拓の足跡を残した。また山の文芸誌『アルプ』の編集に参加し、串田孫一らと300号の終刊まで委員を務めた

「アルプ」の時代 /ヤマケイ文庫 山と溪谷社 の著者紹介より


そのような本があるので中村誠さんは書くのを悩まれたが、あとがきでこう書いている。

しかし、そういうためらいがあったにもかかわらず、やはりこの本を出そうと思ったのは「内側」からではなく、「素人」が「外側」から見るからこそ、見えてくるものがあるのではないかと考えたからである。(中略)また、いままで「アルプ」周辺の文化とは無縁だった人たちに、関心を寄せてもらう契機を少しでも増やしたかったからである。

『山の文芸誌「アルプ」と串田孫一』
あとがきより

どんな本かもう少し書いているnoteはこちら。

選んだ理由

なぜこの本を選んだのか?
そもそもきっかけは辰濃和夫著「ぼんやりの時間」という本で、串田孫一さんを知り、それから串田孫一さんの随筆を読むようになり、北海道の東の果て斜里町にある瀟酒な北のアルプ美術館まで赴き、すっかり串田孫一さんが好きになったからだ。

もとより山登りも随筆も、自然も、芸術も好きである。
この全部が詰まった人が串田孫一さんなのだ。

読み終えて(全体所感)

この本をサポートいただいて本当に良かった!

串田孫一さんと彼を取り巻く魅力的な人々を沢山知ることができたから。
その点、「いままで「アルプ」周辺の文化とは無縁だった人たちに、関心を寄せてもらう契機を少しでも増やしたかった」という著者の目的は果たされている。

(が、それは山口耀久著の『アルプの時代』を併読して知った魅力でもある。こちらの方が分かりやすい、読みやすいと思う。)


中川誠さんの「外側」からの考察と、山口耀久さんの「内側」から書かれた『アルプ』にまつわる話。
もし読んでもらえるならば、私は2冊セットで読むのをお勧めしたい!

*全くの余談だが「「アルプ」の時代」の中で執筆メンバーの住んでいる沿線によって締切の対応の傾向があり、
中央線組:締切をちゃんと守る
京王線組:締切を守らない
というのを読んで思わず笑ってしまった。

(この沿線を見ても「山に親しむ」沿線だなと個人的に思う。)

といっても、小説でもなく、山を登らない人にとってはまったく遠い世界に思われてしまいそうな本。
興味すら湧かないかもしれない。

しかし。

「アルプ」や串田孫一さんの随筆は、自然を愛する人ならば、そして本を読むことが好きな人ならば、芸術が好きな人ならば、きっと山を登らなくとも愛してもらえる世界観だと思う。

この串田孫一ワールドが、次の世代にも細くとも長く繋がってくれるといい。

この本を読みながら、芋蔓式にまた本を買っている。
これも本の効果だ。
サポートされた本を読みながら、5冊本を買ったので、#本代サポートします企画も成功しているのではないかと思う。

先日届いた本
表紙の全部が写らなければ大丈夫だろうか


明治・大正時代の詩人や版画家、哲学者、登山家などが執筆したアルプ。
携わった人をまた少しずつ知りたいと思っている。


ちょっとここで・・・本の概要

前置きがとても長くなってしまった。
この本の概要を載せておく。

山や自然、人生などをめぐる思索的な随想と人生論、哲学書、翻訳で読者を多数獲得し、文芸誌「アルプ」を創刊して文学ファンに刺激を与えた串田孫一。彼を中心にすえて、登山とそれをベースにした山岳文学の華やかな光と辻まことら文学者たちの熱い息吹を描く。登山に関する領域だけでなく、串田孫一の博物誌、様々な詩人の詩作品、辻まことの画文やカリカチュアなどを多角的に扱った一大パノラマ。

紀伊国屋書店「商品詳細」より

(目次)

第1部 串田孫一の諸相(山に登る串田孫一/山を書く串田孫一;串田孫一の初期詩業と詩誌「歴程」;串田孫一と同人誌「アルビレオ」;『博物誌』の世界)
第2部 登山と文学(一九三〇年代の“山岳文学論争”をめぐって;串田孫一と山岳雑誌「まいんべるく」;昭和三十年代の「アルプ」が果たしたもの)
第3部 「アルプ」の詩人たち(孤独の詩人 尾崎喜八;鳥見迅彦の“山の詩”;辻まことの“風刺的画文”;辻まことの“山の画文”)

紀伊国屋書店「商品詳細」より

登山に関する領域だけでなく、(中略)多角的に扱った一大パノラマ。

とある通り、多角的なパノラマなのでひとつひとつに感想を書いていくと膨大になるし、この世界を知らない方にどうやって感想を伝えていいのか正直分からない。

パノラマの中でどの景色を見にいこうか迷うし、どのパノラマにスポットを当てて感想を書くかとなかなか定まらない。

今も悩みながら書いている。
物語ではないので、あらすじもない。
どんな風に感想を書いたら良いのか本当に分からない。
ないない尽くし(苦笑)。

文学と山登りという行為の矛盾(第1部より)

この本で、串田孫一が「山を書く」ということと、「哲学」「考えること」、「文学と山登りという行為を矛盾」と捉えていたことを知り、最初は分かるような分からないようなそんな感覚だった。

「重たい荷物を背負って山を歩き廻っていては、いよいよ単純になり、いよいよ愚かになるばかりのように思われ、それよりも、部屋に閉じこもっていても考える人になりたいという願いを強く持ちつつ、それがすでに賢明な決意だったように山から離れました。

「岩の沈黙」串田孫一より

「山を書く」ことと「考えること」は矛盾する行為なのか?

著者は、(串田孫一は)山での体験をそのまま書くのではなく、串田自身の精神のありようとその探究の経過だったと考察している。

極論すれば、山について書こうとしたのではなく、自己自身を書こうとしたのである。
(中略)
・・・
登山とは何かではなく、登山する自分自身の精神の軌跡を知ろうとするものとして、それらは書かれ続けたのである。

山の文芸誌「アルプ」と串田孫一 第1章 山に登る串田孫一/山を書く串田孫一

この章では他にも、串田孫一が登山をすること自体に関する違和を述べていたり、山登りを恥ずかしいと思っている(山登りが恥ずかしく、思惟する人になりたいと願望していた串田だった)ことについて考察されているが、やはり、そのような思考に至ることが私が串田孫一さんを面白いと感じる一因なのだと思う。

串田孫一さんは登山家ではなく「哲学・文学」の人。
でもその彼が終始矛盾を抱えながらも山から離れることなく過ごしたのは、そこに「何か」があったんだろうと思うのだ。
その「何か」は串田孫一さんの随筆を一つ一つ紐解いていけば分かるのかなとも思う。
それを知りたいという欲求が生まれている。

他の随筆も読んでいるが、串田孫一さんの思考が面白くて仕方がない。
「考える」ということの楽しさを教えてくれる人だ。

*第1部では、山の文芸誌「アルプ」に至るまでの経緯や「博物誌」にまつわる話など本当に色々書きたいのだがすでに3,000文字を超えているので断念する。
この第1部だけでも串田孫一さんを取り巻く人々や、彼が携わった文芸誌や書物が興味深く、気になるものを読んでいこうとするといつ終わるか分からない。
そしてこの本を紐解くのに、山口耀久さんの「アルプの時代」がどれほど役に立ったか分からない。
こちらは出てくる人物とのエピソードが面白い。
手元に置きながら読み進めた。

感想文だから、この本について思ったことを書かないといけないと思うけれど、それが一言に表せない。

端的に言えば、「面白くて読んで良かった」なのだが。。。


この本から知りたいことが増えてまたそれを本で紐解いていくという欲求が生まれている。
この「知りたい」という気持ちを刺激してくれたのは大きい。
面白いからさらに知りたくなるのだと思うから。

特に「博物誌」は読みたい本ではあるがこれまたなかなか入手できず・・・中古で綺麗な本がないだろうか・・・・。

一九三〇年代の山岳文学論争

ご参考:山岳文学論争について

このような論争があることも知らなかった。

そもそも野球文学とかサッカー文学とか、バスケット文学というジャンルは(あるかもしれないが)あまり聞かない。
山岳(登山)がスポーツかは別として、「体を動かす」という点でスポーツと似ているとすれば、「山岳文学」というジャンルがあるのは珍しいのではないか。

その山岳文学について、そもそも現代に論争はないのかもしれないが、「山岳文学とは何か」という問いが真剣になされていた時代があった。
それが1930年代である。

詳細は先のリンクに記載があるが、登山が一般化されるにつれ、山岳紀行文が稚拙になり、「文学としての資質を高める」ことを要求する考えや「山岳紀行文が生き残るためには、”文学としての紀行文になるより他はない”という意見やさまざまな論争が興味深い。

それまで登山が文学者・科学者などの一部の知的階層によっておこなわれて、紀行文にも文芸に馴染みのある選ばれた者によって担われていたのに対して、登山人口の拡大で、総体として山岳紀行文の書き手の文筆力が下がってしまったという事情がある。

山の文芸誌「アルプ」と串田孫一 第5章 一九三〇年代の〈山岳文学論争〉をめぐって

これだけ登山が大衆化し日常のものとなったことを考えると、各人が独自の登山観をもとに個性豊かな登山を実践するのは極めて困難なことである。
今日、今山岳を対象に書こうとするならば、よほど特異なテーマ設定をするか、文芸としての価値を高めていくかという、二つの道しかないだろう。かつて「異界」であった山が日常の場と化しつつあるいま、これからの〈山岳文学〉はフィクションとしての「文学」に回収される運命をたどるしかないのかもしれない。

山の文芸誌「アルプ」と串田孫一 第5章 一九三〇年代の〈山岳文学論争〉をめぐって

「山岳文学」について考えたこともなかった私は、こういう視点で「山」も「文学」も捉えたことがなかった。

確かに私が山に登ったことを振り返る時、それを文章にした際「文学」になるのか?と言われたら即座に「否」である。

山岳文学を書く大前提として、山に登る人でないといけないと考える人達は山岳優先主義。
紀行や随筆を書くにしても、書く本人が独自の登山をしていることを求める。

確かにこちらの主義は理解できる。

山岳の紀行に文学を求めるべく文学者が山岳について書けば、山に登らない文学者であったならば、山岳についての要素が物足りないのではないかということも分かる。

そもそもこの論争自体、まだ登山が一般的でなかった時代だから、読むことで山を知るという行為が成り立ったのだと思った。

今の時代、Instagramやテレビ、YouTubeなどで簡単に山に入れる。

槍ヶ岳のてっぺんや常念岳からの槍ヶ岳の素晴らしい!(これはリアルで見ているが本当にすごい)景色を昔は簡単に見ることができなかった。
その山と人を近づけるものが山岳文学だったのだなと私なりに理解した。

そして『アルプ』は串田孫一さんという山に登る哲学者が創刊したことで、山岳「文学」として成立していたのかなと素人なりに思った。

そして、先の「山を書く」ことと「考えること」は矛盾する行為なのか?について第7章でわかる気がした。

第7章 昭和三十年代の「アルプ」が果たしたもの ので串田孫一さんの頭の中が少し理解できたかもしれない。

「アルプ」(串田孫一さんが創刊した山の文芸誌)は「登山」と「思索」がリンクしたという特色を持つが、「山登りをしながら思索すること、人生を考えながら歩を進めることだと捉えること」ではないと串田孫一さんは考えているのだ。

山の中では、よい思索ができると、普通には思われているようだが、それはかなり違っている。
山の中で、少なくとも私は何も考えない。考えるという機能は、行動する私に占領され、忙しい。

「山に関する断想」串田孫一

だから、「山を書く」ことと「考えること」は矛盾する行為なのか?という思考が生まれたんだとここにきて自分なりにしっくりきた。

確かに山の中で「思考」「思索」することは難しい。
私の場合、山に体が慣れてくるまでは苦しいし、登りがキツかったりすると、そこに意識が向くのだ。
あれこれ考えない。
登ることだけに集中する。
そうなると、仕事の嫌なこととかすっかり忘れていてそれはそれで良かったのだ。
考えるより、「登る」「景色を見る」「呼吸を整える」・・・確かに行動で忙しい。
そうなると確かに「思考」からは離れてゆく。
串田孫一さんが下山後、山を登る行動から自身のフィルターを通して「書く」ということができるのがすごいと思った。やはり哲学者なのだ。

自身を振り返ると山に登った後、楽しかったー!と温泉に浸かり、お蕎麦を食べ帰路についてそのまま疲れて寝てしまう自分が浅はかな人間に思える。
今一度山に登ることができたら、下山後「ちゃんと思考して」何かを書くということをしたくなった。

この時代は「アルプ」という「文芸」から登山に向かう者たちが多くいた。
今はどうだろう?
山岳文学ないし山の文芸誌から、登山に向かう人がどれほど多くいるだろう。
そんなことも思った。

現代には、「山の本」という文芸誌があるが残念ながら今は休刊している。

1980年代、山が好きなクラスメイトは「山と渓谷」を読んでいた。
彼女は「アルプ」を知っていただろうか?

山の雑誌(文芸誌ではない)といえば、「山と渓谷」や「岳人」だろう。
文芸誌は今はもうないのだろうか?
ニーズもないのだろうか?
ニーズがあったとしても書き手がいないのかもしれない。

少なくとも高齢化はしているが、一部まだ「アルプ」ファンは存在している。
このままちょっとずつでも若い世代に繋がってほしい。
(ただ入手できないので「アルプ」自体を読むのは困難なのが残念だ。)。

読み終わって(終わりに)

面白かった!
ここに書いたことは本当に一部で、全く面白さが伝わった気もしないし、感想文の体をなしていないと思う。ごめんなさい。

ただ思ったことを素直に書くのであれば、
「串田孫一さんやアルプの世界をもっと知ってほしい。」

さらには、

『串田孫一さんと周りの人々に実際にお会いして、いろんな話を聞いてみたかった。』
そして、今山登りをしている山を愛する若者たちに読んでもらいたい。

欲を言えば、そんな山に登る人達の中から『現代の串田孫一さん』が現れて『アルプ』のような文芸誌を創刊してくれたらと願う。

こんな素敵な文芸誌なのだ。

300号を通して、装丁はほとんど変わらなかった。表紙は緑がかった水色。フランス語で、「ヴエール・ドー」とよばれる色だろう。漉きのスジが横にうっすらと入っている。そこに黒、あるいは濃いべージュで「アルプ」のタイトル文字。本文はクリームがかった高級紙。原色版の挿画が一点。ほかにモノクロ写真、多くのカットがついた。
 山の雑誌だが、山の案内はしない。コース紹介、技術や用具をめぐる実用記事といったものもまるでなし。広告は一切のせない。

冒頭北のアルプ美術館のサイトより

ここに書ききれなかった詩人や版画家やいろんなメンバーが(畦地梅太郎、尾崎喜八、辻まこと、深田久弥などなど)串田孫一さんと共に山の文芸誌「アルプ」を作り上げてきた。

今はまだ串田孫一さん関連書籍で手一杯であるけれど、これらの人もちょっとずつ紐解いていきたい。

(おまけ)
今もしSが生きていたら・・・再び一緒に山登りをしたかった。
本好きだったから、串田孫一さんの本やアルプのことも話したかった。

今度彼の実家に行ったら山の本(地図含めて)を本棚で探してみよう。
串田孫一さんの著書はなくても、山の本を読んでみたい。

#なんのはなしです感想文




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blanche
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