『ダイヤモンド・エイジ 上』 ② エンジニア、ハックワース
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バドが道を歩いていると、一人の黒人とすれ違った。自分は武装している。相手はしていない。道を譲るのは相手の方だ。相手とぶつかり、イチャモンをつけると、相手はバドの目を見て、財布を置いて行った。黒人はキャッシュレス手段でなく、現金決済をする。こうやって、バドは犯罪の道へ進んでいった。
ある日バドは裕福な身なりの黒人を脅して、その腕に穴を開けた。やっとこさ相手は状況を理解し、財布を置いていった。その黒人の片頬には、小さな傷があり、その子どもを抱いた妻の片頬にも小さな傷があった。
バドは、空港で待ち構えて、カモを探すようになった。片頬にキズのある集団がいたので、出くわした昔の仲間に声をかけて聞いてみると、相手はギョッとした顔をする。あれはアシャンティの集団だ、お前、あのボスに何かしたんだって、アシャンティの集団は血眼になってお前を探しているぞ、と警告を受けた。
バドは浜辺で暮らしていた貧乏人の服と自分の黒いつなぎを交換した。そして、先を急ぎながら、どこに匿ってもらうべきか頭を捻った。ユダヤには割礼が必要だ。言語も覚えなければならない。モルモンは迅速に受け入れてくれない気がした。ボーアの聖書研究会は思い出すだけで頭が痛くなる。ヴィッキーつまりネオ・ヴィクトリア人たちは、何十万年経ったところで入れてはくれまい。センデロはどうだ。赤い本を持って一文でも暗誦して見せればすぐに受け入れてくれるのではないか。バドは自分の息子と半ば認めていたハーヴと、センデロの門番の少年少女を笑わせようと石を投げたり、からかったことがあった。コミュニストたちの元に急ぐ。
そこへ、四脚ロボット、通称シェヴにのった一人のアシャンティがバドに気づき、速度を上げてギャロップで近づいてきた。反対側からもアシャンティが束でやってくる。バドは囲まれ、ラップでぐるぐる巻きのミイラのようになった。口元だけ、空気穴が開けられたようだ。
シェヴにのった男が、上海警察を呼んだと告げる。
バドは護送され、法廷であるビルの一角に入っていった。
芳(ファン)判事という若い判事が現れ、バドにいくつか質問をする。
クワナミ氏は、オタクに金を取られた上に、腕に穴を開けられたと言っている。常警部補が補う。バドの頭蓋骨内に埋められていたスカルガンを取り出したところ、クワナミ氏の腕から摘出した破片と一致した。
はい、有罪。
しかし、財産も被害者の治療費を補償する労働価値もないので、この件への介入を放棄せざるを得ないという。
家族について聞かれ、バドは、ハーヴという息子と、テキーラという結婚してない妻、そしてその妻は最後に会った時妊娠中だったと答える。
常警部補がテキーラという女性は19名いるが、ハーヴという息子がいるテキーラは最近女児を産んだと告げた。名前はネロディー。
パパさん、おめでとう。
しかし、本件には情状酌量の余地がない。あそこのドアから出ていってもらおう。道を渡ると桟橋があるから、次の指示を待つように。
バドは、そういえば桟橋のことを耳にしたことがある、と思い出した。
葬儀桟橋と呼ぶらしい。
桟橋の上で、バドの身体に仕込まれた数十個のマイクロ爆弾、通称クッキーカッターが血流内で炸裂した。
ビスポークの技術士、ハックワースは出勤した。
新たに手がけることになったプロジェクト「若き淑女のための絵入り初等読本(プリマー)」の出資者はマグロウ卿である。彼はどんな言い訳も節約も我慢がならない性質だ。経費に上限はない。最高のものを作るのみ。
プリマーの動力源は飛行船と同じく、さまざまな製品を動かすと同様のバッテリーだった。ハックワースは、この動力源の部分を、信頼する部下に外注していた。
コットンは、プリマーのコードネームである「ランシブル」と書いた紙片を引出から取り出すと、それに向かって話しかけた。
ハックワースは自分で書いたたくさんのプログラムのスマートペーパーの束の上にコットンの束を乗せた。そして自動読み取りマシンの最上部にあるトレイに束を入れ、コンパイルせよ、と命令した。
カードをシャッフルするような音が響き、マシンが内容を読み取る。やがて、出力トレイに、一枚の真新しい紙が現れた。
”ランシブル バージョン1・0 コンパイル済み仕様書”
ハックワースは今度はそれをダイヤモンド製のMC(物質組成機)の中に入れ、作業を見守った。不安があるからではなく、単純に楽しいから。作業が終わると、マシンに読み取り可能な言語で書いたシステムは空気に触れ、ゴミと化した。ハックワースはそれをゴミ箱へ投げ入れた。ゴミ箱に入れた元システムは完全に破壊され、それは証明することも可能だった。
美しい一冊の本が残った。
ランシブルのページには、演算機能が高密度に詰め込まれている。
シートは三十二折り分の折り丁が背表紙で綴じられる。
背表紙は大規模なスイッチング・システムおよびデータベースとしても機能する。
ハックワースは本を引き出しにしまうと、シルクハットと手袋、ステッキを手に、上海に向かった。
これから犯す罪のことを考えていた。