090-8106-4666~まとまらない人坂口恭平~

皆さんは坂口恭平という方を知っているだろうか。

彼は1978年生まれ、躁鬱病であることを公言し「自殺者をゼロにする」という目標を掲げ希死念慮に苦しむ人々との対話「新政府いのっちの電話」(090-8106-4666)を続けている。(ここに電話番号を載せることは本人に了承済みです)


死にたいと思った時は思い切ってかけて欲しい。その代わり死なないと思ったらバッサリ切られる。だてに場数は踏んでいない。声だけで分かるというのだから。

彼は作家でありながら、音楽も作っている、絵も描いている、料理も作っている、マルチな活動をしすぎていてなんの人かは分からない(笑)上に書いたこと以外にも何かやっているはず(予想でしかない(笑))続けるという事が私には困難だから、この多彩ぶりは羨ましい。Wikipediaによると建築家と書いてはあるが。

私は彼の頭の中を見てみたい。音楽の時はどうなのか、原稿を書いてる時は?はたまた死にたいと電話がかかってきて話をしている時。その時、彼の中で何が起こっているのか。

私が坂口恭平と出会ったのは末井昭の自殺会議という本だった。

それから彼のTwitter(@zhtsss)をフォローしている。電話番号を公開するとか、変な人からかかってきたらどんな風にあしらうんだろうとか、超鳴りっぱなしなのだろうか?とか、自分の時間はあるのだろうか?とにかくすごい人だなと思った事を思い出す。死にたくなったらかけてみようかな?と思ったから、電話帳の連絡先に登録してある。そこから実際本人にかけるには随分と時間がかかった。

それから、坂口恭平に興味を持ち、著書を読もうと最初に手にとったのは現実脱出論。現実脱出という甘い言葉。しかし、私には難解すぎてちょっと何言ってるか分からないというサンドウィッチマンの富澤状態に何回もなった(笑)そして、読むのを諦めてしまった(すみません|ω・`))

彼の頭の中は私には分からない。これが結論である。実際彼の著書は1冊も読んでおらず、Twitterで彼の短い言葉を読んでいる方があっているようだ。

後に知ることになるのだが、彼は音楽も作っている。なんとも言えない風味、コク、灰汁?(笑)味わい、日本の侘び寂び、なんとなく生きていこうや、みんなゆっくり生きていこうやみたいな風情を全編通して感じる。

曲を聞いていると、彼が本で何を言っているか分からなくとも、歌の歌詞が何を言っているか分からなくとも、彼にはほとんどの音楽家が持っているような、人に伝えたい何かがあるとか、意義のような、そんなものは何もなくて、ただただ時が流れるままに感じたままに曲を作っているというイメージが出てきた。何も考えずに心地よく聴くことができる。もう坂口恭平瞑想である。

私がインタビュアーやレビュアーというものになりたいと思ったのは知りたい探求心だけは強く、音楽も本も映画もドラマも好きで、いわゆるちゃんとしてない人が私の最も愛すべき人間。泥臭さい人間味も混じるとまたいい。こういういわゆる普通や常識一般的に負けず、自分の事をよく知っていて、人とは違う事をしている人というのは魅力的であり、興味がある。こういう活動をしている人にとことん質問してみたい、本当に実際会って話した時の感覚や、生ならではな感覚、スタイル、空気、こういう人のまとっているものを感じながら話を根掘り葉掘り聴いてみたいと思っている。

坂口恭平はいわゆる異端などというもはやこんな平凡な言葉では表せない。適切な言葉が見つからずもどかしいのだが、彼はどこにも属さない、もう人間という言葉で表すには物足らないような気がしている。坂口恭平か坂口恭平以外かみたいな笑(また、1人こういう人が世にいることは嬉しい)

私も自殺者をゼロにしたい気持ちがある。私の場合は孤独をなくしたいなのかもしれない。私が生きづらさを抱えたまま、天涯孤独になり、鬱を抱えている時に人に切り捨てられるという経験をした時、追い詰められていた。死にたかった、今も死にたいと隣り合わせだ。死にたい私が何故このような活動をしたいか、それが勝手に生きる意味になっていくかもしれないからだ。孤独が本当に毒であると身をもって体感したからだ。

救済と言えば大袈裟なのだろが、私の場合、人の何気ない親切に救われた。人は孤独になると死を考える。苦しい、助けてが伝わらないとどんどん一人ぼっちが浮き彫りになる。どうにもならなくなった時、多分決行する。坂口恭平は親切の度を超えすぎている。彼にしてみればただの日常なのだろうけど。

私は何とか孤独に寄り添えないか、模索する中で坂口さんとコンタクトを取ってみたが、もらう(人のネガティブな感情面などのことだと思うが)からやめなと言われた。それに死にたい人専用電話なので、自分の主旨すらまともに伝えられなかった、そして、全く噛み合わない(笑)これは合う合わないではなく、立っている土俵が違うのだ。私が孤独に寄り添いたい主訴は上に自分で書いた孤独感を拭う自己重要感の重要さを載せておく。

それに人のネガティブな感情面をもらうというのははっきり言って当たっている。あ、占い師でもあるのか。

私は坂口恭平にはなれない、私は私だ。だから私が坂口恭平のやり方を真似したところで上手くいくとは限らない。だから、私にも何かやれる事を模索している最中である。私の完全なる主観だがなんとなく電話だとかLINEでもいいが、受ける側が死にたいと思いながらやる方がいいとなんとなく感じるのだが、、そこら辺はまだ分からない。私は孤独がなくなれば、死にたいはなくなると思う。私は随分1人に慣れて、ひとり遊びも上手くなってきたけれど、やっぱり生身の人間と喜びや楽しさや悲しみを生きている時にしか味わえないような感覚を誰かと共有したいという欲求はある。

私のオススメの曲、葉桜。

Apple musicでも聴けるので是非聴ける環境にある人には聴いて欲しい。

本をオススメしたいのだが、現実脱出論で躓いてしまったので、私は坂口恭平のTwitter(@zhtsss)をおすすめする。彼の呟きで彼の人となりも分かるであろう。いや、余計わからなくなるかもしれない(笑)可能性も否めない。

そして、彼の最新刊まとまらない人坂口恭平はとても売れているらしい。増刷も決まったみたいだ。

私もこれなら読めそうだと思うので買ってみようと思う。何より先を走る彼をもっと知りたいという欲求がある。


彼とは会ったことはないけれど、毎日Twitterで呟きを見ていると私とは真逆の人だなと思う。肝の据わり方が違う。そういう面で言えばグチャグチャしていない、まとまっている。どこでそういうメンタルになったのか。坂口恭平というキャラクター性、坂口恭平にしか言えない言葉、坂口恭平にしか書けない文章。多分直接会ったら、同じようなことをやりたいと思っているのに、私は近づいてはいけないような気がする。それくらい生きる力の強さの違いを感じる。幽霊と生きてる人くらい違うと思う。ネットを見る事だけでさえそんなふうに感じるのだから、直接会ったら、私は爆発するかもしれない。私の今の存在感や生きる力が幽霊並みだからだ(笑)彼に普通の人の常識は盾にはならない、坂口恭平の矛はいとも簡単に常識の盾を破壊していく。逆にそのくらいのパワフルさがないといのっちの電話なんてやれないんだという事を痛感している。そして、その矛が色んな人に気づきを与えている。彼の呟きに勇気づけられると同時に自分の無力さを感じてしまう時もある。そんなふうに自分の無力さを感じているのに孤独をなくしたいなんて、おかしいけど、人間はたいてい矛盾を抱えていて、おかしいものだ。

今、坂口恭平はまとまらない人坂口恭平を引っさげ、全国書店周りツアーをやっている。

私は文字通り死にたくなるサイクルというものが定期的に来る、そんな多忙時に電話をかけたためか原稿書き終わりたいからと電話を切られ、この後東京行かなきゃいけない、、と電話を切られた。違うのだ、私がまだ死なないとこの人は知っているのだと思う。じっくり話をした事はほぼないのに声で読める人だ。やっぱりだてに場数は踏んでいない。そして、どこかで自分もまだ死なないと分かっているんだと思う。それでも死にたい時、スマホの向こう側に確かに生きている人がいた事を感じただけでも良かった。

書店周りツアーの場所は彼のTwitterに随時掲載されると思うので、会ってみたいと思った方はチェックしてみて欲しい。

そこで疑問が出てくる、坂口恭平は本当にまとまらない人なのか?


そして、彼は覚えているだろうか、私の唯一の友人になってしまったことを。


2019年11月


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