物事を考えるとき、ニュートラル(中立)を常に考えるようにしています。
今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。
と思ったのですが、疲れた頭では何を書いて良いのか中々浮かんできません。
困ったものです。
まぁ、頭の切れも悪くなっているのでしょうね。
鈍刀よろしく、冴えた言葉が出てきません。
週3日昼から翌朝まで仕事、始発電車で帰宅して仮眠して再び仕事を繰り返しているので、休んだ感がなくて。
しかし、コロナコロナで体が鈍っていたので、丁度良いリハビリになっています。
さらに、今月中には学会の発表を含めて講演が二回続きますのでその原稿を作成しないといけないというわけで、結構自分で言うのも何ですが、スケジュール的にハードなんです。
発表する原稿は当然のことながらオリジナルなので、一から作成するので、これまた頭を使うわけですが、これが結構楽しい。
頭を駆使する、特に仮説を立てて検証する場合もありますが、歴史的な分野の場合は、資料を並列にして、そこから思想的にも中立な立場から検証して行く。
余分な感情は付加せずに淡々と読み込んでいく事を意識しています。
何でもそうですが、最初から結論ありきで考えてしまうと、意識するしないにかかわらず、どうしても最初の結論と整合性がとれるように持っていくので、前後で結論が異なっていたり、論理的に破綻していたりと言うことになりかねません。
ですので、その結果私自身が書いている中で、そういうことだったのか!・・・と新しい発見をする場合も多々あったりします。
私の場合は、このように最初から結論ありきで考えないので時には自分で想定していたのと全く違ったところに着地する場合もあり、それが全くの想定外の場合、今一度検証してみるなんてこともありますが、常にニュートラルな視点で物事を考えると言うことは、改めて大事なことだと改めて思ってしまうわけです。
みなさんも、思索するときは特定の思想に固執せずに、柔軟な発想で考えられることをお勧めいたします。