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ステレオタイプと政治と

心理学で良く出てくるステレオタイプ【類型化】

 ステレオタイプと言う言葉を聞かれたことはあるでしょうか。

心理学などを学び始める最初の頃によく出てくる言葉ですが、いわゆる類型化ですね。

 高学歴=頭が良い

と言ったイメージであったり、仕事に内容で貴賤を判断したりする場合等がその典型でしょうか。

 人を見た目で判断する、もしくは学歴などで判断する。

一番いけないと思いつつも、一番手っ取り早い人の判断法なんですね。

 しかし、そうした方法でステレオタイプ化していくことは情報を受け入れる方としては楽なわけですね。

特に自分で考えなくとも、ある意味思想の完成品が出来ているわけですから。

私たちはそれ以上考えなくて良いわけです。

これは、老若男女誰にでもあることです、「若い人が」と言うつもりはありません。

むしろ、高齢者の方が新しいことを考えるのは苦手だからと言って、既にある自信のステレオタイプに則って話をしてしまう傾向があるように思います。

所謂老害ですね。

 私なども、ややもするとそうした過去の経験とかから判断しがちになってしまって、新しい視点、新しい発想を受け入れると言うことが困難になる場合があります。

 私なんか40代の頃は精神的にもどん底で、思考停止していましたので、完全なステレオタイプの中で生きていましたね。苦笑

 大学卒=エリート・・・みたいな。

郵政辞めて、再就職しようと思うと「大卒以上」なんて書かれていると、高卒というのはそんなにも安く見られるものなのかと思ったりしてね。

激しく落ち込んだりしたものです。

そこで、余計に負のステレオタイプが出来上がってしまうんでしょうね。

 ステレオタイプの構築は究極の洗脳装置?

 そこで、改めて思ったのですが、ステレオタイプというのは、人を囲い込むには丁度良い装置というか仕組みと言えるわけですね。

あなたはこうですよ・・・

あなたの県民性はこうですよ・・・

あなたの思考パターンはこうですよ・・・

改革と言うことは全て正しいのですよ・・・

等々、我々は知らず知らずのうちに、そうしたパターンを見せられて、そのパターンにしっかりはめ込まれているような気がするわけです。

 政党支持者というのも一緒でしょう。

熱烈に特定政党を支持する人たちは、その政党などが見せるステレオタイプのパターンに嵌まっている。

それ故に、中々抜け出せないと思うわけですね

 先日衆議院選挙が終わりましたが、政党というのは、ある意味大衆に対してどのようなステレオタイプを提供できるかと言うことなんでしょうかね。

特に大阪での現状を見ていると、そんな風に思えて仕方が無いのです。

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