【雑記】教授の女──学問とジェンダーと男と女
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noteを 2週間近く放置しちゃいました😅
いやー、副業を入れまくっていたところに、あんな大事件が起こるものだから、てんやわんや(死語)。ようやく、一段落つきました……😢
知らないうちに、noteのデザインが変わってるし。見にくい!!!
コメントのお返事、遅れまくった方、ごめんなさい🙏
皆さんの2週間、これから読みにいきますね。
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◆2年ぶりのカムバック
今日の会社の回覧資料に、彼女の名前があった。
人事動静の欄である。
どうやら、とある地方の国立大学の教授に就任したらしい。
「よく受け入れてくれたもんだ……」
そう思った。
彼女が、別の地方国立大学の教授に就任したのが、3年ほど前。
彼女にとっては、畑違いの分野である。
「先生に地方は合わないよ。ムラ社会だもん。おとなしくして、ボスの先生のご機嫌もちゃんととって、学会活動もきちんとしたほうがいいですよ」
就任後の最初の電話で、僕はこう言った。心配していたのである。
「そうね」などと言っていたのだが、彼女は僕の忠告を無視して、新しい土地でも派手な活動を始めた。
その地方で若手の研究者を集めた学際的なグループを作ったり、学務に注力するよりも自分の研究活動を重視して全国を飛び回ったりした。
1年後、彼女が大学に出勤できていないらしい、という噂を聞いた。
それから2年間も、彼女は新任の大学で、教授であるにもかかわらず、休職を続けた。
大学はかなり困っただろう。
2度ほどメールをやりとりしたが、彼女はかなり弱っていた。
畑違いの分野といっても、同じ学問分野である。社会は狭い。噂もすぐに広まる。
彼女の再起は難しいのではないか、と思っていたのだが、再びの国立大学、しかも教授でのカムバックである。正直驚いた。
◆破天荒な女
どうしてそうなったのか、分からない。彼女が所属する研究センターのスタッフを見ると、男ばかりである。もしや、と思ったが邪推はやめておこう。
僕は、彼女と 2回ほど、寝たことがある。彼女は、僕の 2個下だ。
彼女は最初から異彩を放っていた。
初めて彼女に会ったのは、5年ほど前。北陸地方で開催された、とある学会の学術集会だった。
大学院生向けのテキストを作る話があり、彼女も執筆者候補に選ばれていた。学術集会に行ったのは、彼女に会うことも一つの目的だった。
知り合いの先生を通じて、彼女にコンタクトを取り、当日はその先生の紹介で彼女に面会するアポを取っていた。
学術集会のポスターセッションのブースで知り合いの先生をつかまえ、彼女に連絡をしてもらうと、5分ほどして、「きゃー」という黄色い声が後方で聞こえた。
振り返ると、1人の女が駆け寄ってきて、知り合いの先生を熱くハグした。
「○○ちゃーん♡、おひさしぶり♡ もう、元気だった?」
学術集会というのは、それなりに厳粛なものである。フォーマルなスーツが基本。若手の先生などは、偉い先生の目をはばかって地味なスーツを着て、おとなしく、礼儀正しくしているものである。
それが会場に響くような黄色い声。いきなりのハグ。僕はすっかり度肝を抜かれた。
しかも、彼女の格好といったら、派手なピンクの花柄のワンピース。白いエナメルのピンヒール。まるで、地中海のマルタにでもいるような服装である。
驚きつつも、知り合いの先生の紹介で挨拶をする。
「○○社のウラノです。本日はお忙しいところお時間をいただき、誠にありがとうございます」
差し出した名詞を見て、彼女は言った。
「けいちゃんって呼んでいいですか? あと、先生はやめてくださいね♡」
◆彼女が出世するまで
当時の彼女の肩書は、ある国立研究所の助教だった。まだペーペーの研究者である。
彼女は、学生のときから有名だったらしい。
僕はまだ今の会社に入社していなかったから知らないが、ワシントンかどこかに留学していたときから、うちの会社の雑誌に連載も持っていて、他のマスコミにもよく登場していたようだ。
留学を終えたあとは、そのままアメリカの研究機関に勤め、国際機関でも活躍し、ある分野の俊英の若手研究者として名を馳せた。
メディア露出が多かったため、インターネットで彼女の名前を検索すると、今でもアメリカ時代の彼女の写真と記事がたくさんアップする。
写真の彼女は、いつもフランス女優のような格好をしていた。派手好きで、目立ちたがり屋なのだ。
顔は決して美人ではない。どこか雰囲気が三浦瑠麗さんに似ている(三浦さんは派手ではないが……)。男好きする顔と雰囲気だ。年齢も近い。
彼女は、アメリカで10年ほど仕事をし、日本に帰って来た。帰って来た理由は知らない。
名前で検索すると出てくる帰国後の写真は、大御所の男の先生たちと一緒に写るものが多かった。
彼女は日本に帰ってきて、何人かの重鎮に可愛がられ、たくさんの活躍の場とポストを得ていたようだ。やましい関係があったかは知らないし、聞いていない。
「おやじ転がし」の素質満載の彼女なら、そんなことをしなくても可愛がられるだろう。しかし一方で、彼女ならやりかねないとも思う。
決して、上昇志向の強い、やり手の女ではない。意識して女を使うタイプでもない。天真爛漫な性格で、生まれつきの「男転がし」で奔放なのだ。それでいて、目立ちたがり屋のくせに、とてもナイーブな性格だった。
◆休職に至るまで
北陸の学術集会で出会い、一緒に仕事をするようになってから、僕は何度か呼び出されるようになった。大抵は、彼女が偉い先生か誰かと飲んだ後だったり、ランチだったり。
ある時なんかは、神楽坂の鮨屋に呼び出され、「経費で落ちるでしょ」などと言って、支払いまでさせられた。その後、マンションまでタクシーで送って行って、送り狼になったのが最初の1回である。
2回目は、彼女が都内の大学の講師に就任した祝いの席の後である。編集者数人が彼女を囲んで会食し、僕と彼女はもう少し飲もうと、赤坂見附のバーに行き、その後、自然にそうなった。
彼女は、まだ40歳にもならない若手なのに、どんどんと出世をし、講師の後、准教授を挟まずに、一つ跳びで地方の国立大学の教授になった。これが3年前である。
行く前に連絡はなく、就任から1週間ほど後、会社に電話があった。
「東京、疲れちゃって。畑違いの分野だけど、受けることにしたの。そういえば、けいちゃん、この分野、詳しいでしょ」
休職に至る前に、彼女が結婚したのではないか、と思ったときがある。
印税支払いの関係で、所属や住所、連絡先等の変更があれば著者から会社に連絡が来るシステムになっているのだが、彼女の名前に、カッコ書きで別の苗字が付記されていた。
その苗字は、その大学の別の講座の若手の准教授と同じものだった。彼女より数歳年下で、同じ研究グループに所属していた。
「今度、機会があったら突っ込もう」と思っていたのだが、次に聞いたのは休職の噂だった。
結婚したのかも、その件が休職に影響したのかも、分からない。
ただ、田舎の大学で、ずっと白い眼で見られ続けたことは、想像がつく。
◆女として生きることの難しさ
彼女は、日本に帰って来るべきではなかったと、思う。
彼女のようなタイプは、日本は合わない。
昔よりもかなりマシにはなった。個性も尊重されるようになってきた。
しかし、まだまだ出る杭は打たれるし、目立ち過ぎるのは好まれない。
噂話が大好物の、相互監視社会である。
女性なら、なおさら難しい。
本質的には相変わらずの男社会のなかで、女性の前途を決めるのは男であることが多い。それにもかかわらず、男に好かれすぎると、女性たちから嫌われ、白い眼を向けられる。
女性には、余計な気遣いと、立ち回りが必要な社会である。
彼女が女を使ったか分からない。
が、使ったにせよ、使わなかったにせよ、彼女は天真爛漫すぎた。慎重さが足りなかった。
そのうえ、三浦瑠麗さんほどの心臓や巧妙さもない。
彼女は、可愛がられるままに素直に遊泳していただけかもしれない。これはある意味、逆に「男社会に転がされた」とも言えるだろう。能力ある若い女性を無責任にちやほやする男たちに、翻弄されたのだ。
研究者としての能力や業績は申し分ないのに、もったいない挫折だった。
彼女のような人物は、今後どうなるのだろう。政界や経済界にも、似たような例が多い気がする。今回の挫折をバネに強い女になるのだろうか。はたまた、小沢チルドレンと呼ばれた女性たちのように苦しむのか。
しかし何にせよ、カムバックできたのは喜ばしい。今後、彼女が翻弄されることなく、能力を発揮してくれることを祈る。