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小さな物語。

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掌編・短編集。
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#ショートストーリー

鮎の骨

鮎の骨

 女友達と行くショッピングモールには疑ってかかるのに、意中の同性と行く一泊二日の温泉宿には警戒しないのが俺には不思議でならなかった。

「これ、ほんとに鮎か? こんな小さかったっけ?」
 皿に乗っている鮎の塩焼きを、俺がいぶかしげに箸でひっくり返すと、田原は「鮎ですよ」といって、黙々と骨をとる作業に取り組んでいた。指で頭を押さえながら、きれいに骨を取り除く。じっとその作業を眺めていたら、田原が俺を

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さくらという少女

さくらという少女

 その少女はさくら、といった。
「ほんとうは名前なんかないけど、つけるならそれね」
 淡く、儚げに、ふふと笑うと春の風が吹き、さくらの長い髪を持ち上げた。さくらの頭の上から桜の花びらがいくつも散った。春馬はそれを、目の奥に留めた。
 桜の樹にすみついて、四十年だという。
 本当は、天国に帰るはずだったのだが、何かの手違いで桜の樹を守る精になってしまった。春になると、この土地の人がビニールシートや酒

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頑張れ、新人くん。

頑張れ、新人くん。

 つまらない男よ、と高橋先輩は言っていた。女なら誰にでも優しくて、学歴でひとをはかるような、そんなつまらない男。でも高橋先輩はそんなつまらない男の子どもを妊娠してしまい、うちの会社を辞めてしまった。あんまりだ、と思ったが私はその言葉を口にしまいこんだ。
「鈴木先輩って陸上やっていたんですか?」
 パイプ式ファイルを抱えて野沢君は私の顔を覗きこむように見た。小学生が見知らぬ動物にさわる時のような、好

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そこにみえるもの

そこにみえるもの

 ときおり鏡に映る十五歳の俺が、大人になった俺をののしる。
「無精ひげなんか似合わないよ。かっこわる」
 休憩時間に、店内の個室トイレに入ったら、洗面台の鏡にいた十五歳の俺が、そう今の俺を侮辱した。十五歳の俺は、胸元まである髪を片手で梳きながら、俺を見てうすく笑った。無精ひげをつくったのは、ただ単に毎日シェイバーで剃るのが面倒であっただけで、決してかっこよくみせようなどという意図はない。だから俺は

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