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そこにみえるもの

 ときおり鏡に映る十五歳の俺が、大人になった俺をののしる。
「無精ひげなんか似合わないよ。かっこわる」
 休憩時間に、店内の個室トイレに入ったら、洗面台の鏡にいた十五歳の俺が、そう今の俺を侮辱した。十五歳の俺は、胸元まである髪を片手で梳きながら、俺を見てうすく笑った。無精ひげをつくったのは、ただ単に毎日シェイバーで剃るのが面倒であっただけで、決してかっこよくみせようなどという意図はない。だから俺は、「わかってるよ」といって鏡越しに十五歳の俺の頭あたりに手をふれた。十五歳の俺は、今の俺を汚らわしそうに顔をしかめて、頭をよけた。
 十五歳のとき、俺は姉ちゃんの格好をしていた。
 小説などによくある話だと思う。一卵双生児だった姉が部活の合宿に行く途中のバスで事故にあった。親は悲しみ、俺に姉ちゃんの面影をうつすようになった。それで、俺は十五歳の女の子の姿をして、生きることになった。
 ばかみたいな話だ。それを、大学に入るまでやり通したのだから。高校を卒業して、進学のために東京に出た。初めは、姉ちゃんの格好のまま、学生生活を送ろうとしたのだけど、途中で辞めた。ここのカフェのバイトの面接のとき、女の格好で行ったら、オーナーに「君はなんで女装をしているの?」と、少しいいにくそうな顔をして聞かれた。俺は、そこで(なんで女装をしているんだっけ……)と改めて考え、ようやくもうその必要はないことに気づいたのだった。
 それから、俺は解放されたのだと思っていた。
 だけど、違う。鏡には、未だにちょうど十五歳の俺がそこに立っている。俺だけが見える現象なのかよくわからない。十五の俺は、一対一の場面でしか現れない。
(幻覚ってやつかな……)
 休憩から戻ってくると、オーナーが「親御さんが来ているよ」といって、慌てた。親とは連絡をほとんどとっていなく、職場を知らせたことはあったが、距離の遠さから来ることはないと思っていた。
(なんで今さら……?)
 男として生きるのは、実家に帰らない決意をするのとほぼ同義になってしまった。
 白い木製のテーブルに向かいあって、座っている親がいるのが見えた。母は紅茶を頼み、父はカフェラテで口を湿していた。 
 俺を認めるなり母は「広美」と呼んで、父がそれを制した。父は俺のほんとうの名前を呼んだ。
「どうして来たの?」
 来て迷惑だといっているみたいだと気づいたが、母と父は気にしていない様子を見せた。父が「ただ、お前の顔を見に来ただけだよ」といって、母は父を見てから俺に向き、うなずいた。
 ほんとうに用がなかったらしく、元気にしているのかとか、ここのバイトで食べていけるのか、とか今さら聞いてどうすると思うことを質問するだけだった。
 母と父はショコラケーキを食べたあと、席を立ってレジにいた俺に「これ」といって、茶封筒を渡した。金でも入っているのかと思ったが、中身は写真だった。
「いつからかわからんが、すっかり消えていたよ。お前まで亡くしてしまったのかと思った……でもこうやって元気にやっているから……安心したさ」
 高校時代の写真は、俺の姿だけきれいに消えていた。整然と並んでいるなかでひとりぶん空いているのが少し異様だった。
 親を帰して、俺はまたトイレの洗面台の鏡を覗きに行った。鏡のなかには、まだ十五歳の俺が、冷ややかに俺を笑っている。
「消えたみたいだ」
「そうだね」
 少し間をおいて、俺は。
「あの頃の俺は、ほんとうに俺だったのか?」
 とわけもわからない問いかけをした。
 鏡に映った十五歳の俺はくすっと笑い、俺のほうに向かって手を伸ばした。
「やっと気づいたの?」
 透き通った手が、俺の無精ひげをなでて、そのまま消えていった。
 俺は、姉ちゃん、と呼んで、その十五歳の女の子の腕をとろうとしたけれど、もうすでにそれはないもので、鏡に映った、姉ちゃんの面影も見えない自分という男の姿を、しばらくじっと眺め続けていた。

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