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非営利組織の経営の本質⑤:なぜ非営利組織の経営を学ぶのか?

ひょんなことから非営利組織の経営について、大学生のための授業を持つことになり、ちょっと悩んでいます。

大学生といえば、若い。

その若い、貴重な時間を使ってもらうのに、それに見合う価値が提供できるのだろうか、と。

そして、提供できるとしたら、どんな価値だろうか、と。

ということで、大学生ではないけど、この前まで大学生だった方にヒヤリングしてみたところ、大学生は授業に何も期待していない、という返事が返ってきました。まあ、自分もそうだったよな。

とはいえ、それではモチベーションが上がらないので、どうしようか、と悩んでいるわけです。

そもそも、授業が90分だか100分だかはわからないが、それが価値のあるコンテンツである、と思われるにはどうしたら良いだろうか?

一応、リアルの授業。バイトも恋も遊びもゲームもしないで、わざわざ学校の場に来て、価値があったな、と思えるには、どうしたらいいのだろうか?

もちろん、授業の構成などのテクニックはあるでしょうが、まずは、シラバスのメッセージかな、と思いました。必須授業ではないので、選んだ人が参加するはず。だったら、そこで、目的意識が違って、この授業に参加するモチベーションがない人は、絶対に参加しないようなシラバスを作成すればいい。

ということで、では、この授業で何が得られるのか、ということを明確にしたい、という話になるわけです。

非営利組織の経営を学ぶ、の対極は何でしょうか。それは、営利組織の経営、ということになるかと思います。では、ここでいう営利組織の「営利」というのは、前の記事の定義でも書いた通りに、事業で儲けを出すか出さないか、ではなく、資本の出し手に投資した分のリターンを返すか返さないか、という話です。だから、営利組織は、投資した分、リターンがある組織のことになります。

だから、投資した分、リターンがある組織の経営について学ぶ、というのは、どのように投資家に投資してもらうか、財務レバレッジをどう効かせるか、などの、ファイナンスの話に近くなるような気がします。

では、逆に、非営利組織の経営を学ぶとは、いったい、どんなことを学ぶのか?

2週間ほど前に、メモとしてに書いたものを転記してみます。

なぜ非営利組織の経営を学ぶのか?

非営利組織=利益を出さない経営、ではありません。非営利組織の経営とは、そこに出資したからといってリターンがない組織の経営という意味です。従来の資本主義社会では資本家と呼ばれる人達が資本を出し、労働者あるいは経営管理者を雇い、給料を出し、結果として社会に価値を提供し、自らの資産も増やす、そんなモデルで成り立っていました。

アメリカ社会でビジネスの発展を見続けてきた思想家ドラッカーは、企業とは何か、経営とは何かを考えた末、「非営利組織の経営」というテーマにたどり着きます。そこで見たものは、非営利組織こそがアメリカ人のコミュニティになっており、雇用を生み出し、自己成長と自己実現の場になっている、という認識でした。

アメリカの成功者、ビル・ゲイツは財団を作り、世界の社会問題の解決に資金を提供しています。世界中に影響力を持つことで、結局はマイクロソフトの株価を通じて自分の利益に結びつけているのではないか、という批判もあります。では、ビル・ゲイツが悪いことをしているのでしょうか? そうではない、と思う人がいるから、財団の仕事は成り立っているのです。

そもそも、企業とは、会社とは何でしょうか? 何のためにあるのでしょうか? 
人は何のために生き、何のために働くのでしょうか? 
自分の活動と社会の関係とは、どんなものなのでしょうか? 
自分は自分が属している社会を、自分にとって良いと思えるような社会に変えることができるのでしょうか? 

そんな疑問へのヒントが得られる時間としたいと思います。

自分用メモより

はい。途中から逃げてますね。

で、これを書いて思ったのは、今、日本というのはざっくり言って、アメリカ型成功モデル社会と、ヨーロッパ型成功モデル社会の、どっちに行くかの岐路に居るんじゃないか、ということです。

かなりざっくり話ですが、アメリカ型成功モデル社会というのは誰でも成功したいと思って努力すれば成功できるよ、ということを前提とした社会。機会の平等を与え、例えば、性別とか年齢とか国籍とかジェンダーとかそんなものが成功の妨げになるのは良くない、という考え。成功者は慈善事業をやって、恵まれない環境にある人を後押しする。デメリットは、そのプロセスにおいて貧困の差が激しくなったり、競争を前提としているので、社会不安をはらんでしまうこと。

ヨーロッパ型成功モデル社会というのは、基本的には身分固定型の階級社会。なるべく子どもの頃から人生のコースを選び、それに沿って成長していくモデル。資産を持っているものは固定されて動かない傾向にあるため、彼らの協力のもとに社会資本が整備され、割と誰でも健康的で文化的な楽しい生活が送れるようになっている。

よくヨーロッパはなぜ若い政治家が、という話がありますが、それは若いうちから人生のコースが決まっているから、という見方もできそうだな、と思ったのでした。

まあ、これらはかなり偏見に満ちた考えではありますが、今の日本は、成功者を生み出して牽引してもらうアメリカ型成功モデル社会と、社会資本を蓄積していって、新しい成功者が居なくても社会はみんな幸せになれるというヨーロッパ型成功モデル社会と、どっちの道を選択するのか、ということを決め切れずに、どっちつかずに過ごしてきた、ということなのかな、と思うのです。

ヨーロッパ型にとっては、GAFAと呼ばれるアメリカの大手ネット関連企業のやり方は脅威なので、GDPRといった武器を用いて、こういう企業の独占を排除しようとしています。どうも、この2つの成功モデル社会は相いれないところもあるようです。

非営利組織の経営の研究については、ヨーロッパの方が先行しているイメージです。それはもちろん、その必要があったからです。それだけ重要といってもいい。市民社会とは、民主主義とは、という文脈にもつなげて考えられ、研究されているようです。

アメリカはどうなんでしょうね。調べたわけではないですが、それほど社会資本の整備が問題になっていない気もしますので、あまり社会にとっては重要なトピックではないのかもしれません。

大学生のうち、この人生で一旗揚げてやるぞ、金持ちになって大成功するぞ、社会のために何かするのはその後だ!という考えの方は、この講座は参加しなくて良いと思います。(というか、大学も辞めてアメリカに行った方が良いと思います。)

逆に、なんとかハイブリッドにして日本型の成功社会モデルって作れないのかな、それがいちばん幸せそうだな、と思うような方であれば、勉強する意味はあるんじゃないかな、と思ったのです。

今回はあまりエビデンスのない話になってしまいましたが、それはおいおい探していくとして、今回はここまで。

現場からは以上です。

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