ジャーナリングと日記は何が違うのか?
「ジャーナリング」と「日記」は、どちらも“書く”、個人的な記載である、ということは共通している。
しかし、その目的やスタイルを比べてみると、意外と違いがあるように感じられる。
本記事では、あくまで私個人の考えとして、「ジャーナリングと日記の違い」について考え、整理してみた。
1. 明確な定義はないが、日記はジャーナリングに含まれることが多い
まず大前提として、「これは絶対にジャーナリングで、日記とは言わない」「これは日記であって、ジャーナリングではない」というように、きっぱり区別できるわけではない。
ジャーナリングに関しても、実は共通認識となる明確な定義があるわけではなく、人によって捉え方が異なるのが実情だ。
私の考え
ジャーナリングの範囲はとても広く、一部の日記もジャーナリングに含まれる場合がある。
しかし、ただ“日々の出来事を淡々と記録するだけ”というスタイルであれば、必ずしもジャーナリングとは呼べないかもしれない。
2. 違いを考えるなら「目的」に注目
2-1. 日記の主目的:出来事の記録
日記は、主に「今日どんな出来事があったか」「いつ、どこで、何が起こったか」を事後的に振り返り、事実を残すために書く人が多い。
特徴
その日の出来事を時系列で記録する
後で読んだときに、その日の状況を思い出せるようにする
感情を記すこともあるが、あくまで“記録”が中心になりやすい
2-2. ジャーナリングの主目的:思考や感情の整理
ジャーナリングは「自分の思考や感情を言葉にして可視化する」行為を指すことが多い。
特徴
その日の出来事以外にも、過去や未来のこと、想像上のことなど何を書いても良い
時系列や事実の正確さよりも、頭の中にあるものを外に出すプロセスを重視
書く内容や順番も自由で、感情やアイデアを深堀りすることが多い
3. 書く内容も、アプローチも自由度が違う
3-1. 日記は「今日は何があったか」が中心
日記は出来事ベースで記し、振り返って「この日はこんなことがあったな」と思い出すための手段として用いられることが多い。
もちろん、その日の感想や感情を付け足す人もいるが、それでも日記の大半は“事実の記録”がメインになりやすい。
3-2. ジャーナリングは「思考の流れを追う」スタイル
ジャーナリングでは、書き始めるテーマが当日の出来事に限らない。過去の経験や未来の理想、まったく関係ない空想を自由に綴ることもある。
たとえば、「今日は雨だったけど、なぜか小学生時代を思い出した→そのとき感じた悔しさを振り返ってみる→これからの生き方に活かせそう」など、書き手の思考が自由に展開していく。
4. どちらが良いかよりも、“書くこと”が大事
4-1. 区分に意味はあまりないかも
結局のところ、「今自分が書いているものはジャーナリングか、日記か?」と厳密に分けようとしても、あまり意味はない。
書いているうちに、いつの間にか日記的な記録になっていることもあれば、思考や感情の整理に没頭して、まさにジャーナリング的な内容になっていることもあるからだ。
4-2. ポジティブな効果が得られるなら呼び方は何でもいい
“書く”ことによって得られるメリット――たとえば、
自分の気持ちや価値観を再確認できる
昨日の出来事を振り返って自己理解が深まる
モヤモヤやストレスを吐き出してスッキリする
などが得られるなら、それが日記でもジャーナリングでも、結果として「自分にとって大切な書く習慣」になっていることが重要だ。
5. まとめ
日記
日々の出来事や事実の記録が目的になりやすい
時系列で振り返りやすい形を重視
事後的に「こんなことがあった」と整理するスタイル
ジャーナリング
思考や感情の整理、自己理解が目的になりやすい
書くテーマや内容が自由で、時系列も関係ない
過去・未来・空想など何でもOK
ただし、両者の間に明確な線引きはなく、書く人の意図や目的次第で形が変わる。
「今日は日記を書くつもりだったけれど、気がつけば思考の深堀りをしていてジャーナリングみたいになっていた」
「ジャーナリングのつもりで書き始めたけれど、当日の出来事をダラダラ書いただけ」
――どちらでも、書くこと自体に価値がある。
最終的には、“呼び方”や“分類”よりも、自分にとって心地よく、役に立つ書き方を見つけることが大切だといえるだろう。
日記でもジャーナリングでも、書く行為がポジティブな効果をもたらしているなら、それは十分に“自分に合った書き方”なのだ。
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