「ミスタームーンライト」あの頃4人に夢中だった。
ずっと、ずっと、ビートルズが好き。
映画「ミスタームーンライト」を鑑賞しました。
ビートルズが来日した1966年6月30日~7月2日を中心に、当時を知る人たちや、ビートルズから大きな影響を受けたアーティストたちが思い出を語るドキュメンタリー映画です。
私も、ビートルズに恋した一人です。
今回の記事では、私とビートルズとの思い出を語りつつ、映画の魅力をお伝えします。
完全版はこちら👇👇
STORY
世界で最も成功したグループでありながら、活動期間はわずか8年なんですね…。
いやはや、本当にすごい影響力です。
私とビートルズ
私は、現在30代ですので、当然オンタイムでビートルズは聴いていません。生まれる随分前にジョン・レノンは亡くなっていました。
映画に出ている中だと、井口さんに一番近い年齢ですね。
そんな私とビートルズの思い出を少しだけ語らせてください。
ビートルズとの出会い
私が小学校卒業するか中学生になるあたりに、ビートルズの「1」というアルバムが発売されました。
チャートで1位になった作品を集めた、ベストのような内容です。
これを聴いた時、私は、「あぁ、ビートルズってこんなもんか。」と感じました。
「Yesterday」や「Let It Be」くらいは知っていましたし、冒頭の「Love Me Do」が尾を引いて、どうも古臭く聴こえてしまったのです。
だからそれ以降、中高と、ビートルズを聴くことはほとんどありませんでした。
正直、今でも「1」をあのタイミングで聴いてしまったことは後悔しています。
ビートルズをただの昔のポップバンドだと勘違いしてしまったからです。
高校生になってからは、レッチリやオアシス、weezerなんかを好んで聴くようになりました。
ビートルズは「1」での思い込みがあったので、聴くことはなかったです。
しかし、大学生になって、音楽をむさぼるように聴く中で、ビートルズの魅力に気づいていきます。
ビートルズとの再会
大学生になってから、私は洋楽を幅広く聴くようになりました。
特に好ましく感じたのが、ジミヘンやドアーズ、ツェッペリン、ジャニス・ジョプリン、ザ・フーなど、ウッドストックや、ヒッピームーブメントなどのカウンターカルチャーを牽引したアーティストたちでした。
そこでまた、再びビートルズと出会うことになります。
ビートルズは、単なるポップなアイドルバンドではなく、カウンターカルチャーを象徴する存在であることを知ったのです。
再会時に初めて聴いた「ラバー・ソウル」。
あの衝撃は今でも忘れられません。「1」の雰囲気とは全然違う、シンセサイザー響きまくりの不思議なサウンド。
「Wait」のような曲を彼らが作っていたなんて…!
驚きと共に、「1」への怒りが込み上げました笑
その後、「サージェントペパーズ」「リボルバー」など、ビートルズのオリジナルアルバムを総ざらいし、すっかり夢中になりました。
ほぼ1年間、ビートルズばかり聴き続け、いつしかビートルズの住んでいた町へ行きたい思いや、歌詞を知りたい思いが募っていきました。
ロンドンとリヴァプールへ
好きな気持ちを抑えきれず、私は語学留学でロンドンへ留学しました。
ロンドンは本当に刺激的で楽しかったです。
もちろん、アビー・ロードにも行きました。
そして、彼らの故郷、リヴァプールへも。
ロンドンからリヴァプールは、日本でいうと東京から名古屋くらい離れているので、長距離電車での移動がとても心配でした。
よく分かってなかったので、日帰りの弾丸だったはずです笑
ビートルズミュージアムや、キャバーンクラブ、ペニーレーンなど、たくさんの名所を辿りました。
本当に良い思い出です。
この旅を経て、私は彼らのことをもっともっと好きになったのでした。
今も、ビートルズはたまに聴きますし、折に触れて、かつての私のように、ビートルズをただのポップスターだと思っている輩に対し、彼らの凄さを布教する活動を続けています笑
映画の冒頭
こちらはブログで👇本気の映画だと分かる理由のひとつです👇
愛あるインタビューの数々
こちらもブログで👇峯田和伸さんのインタビューが面白いです👇
日本の夜明け
私が特に印象に残ったのが、ビートルズが羽田から高速を走っている際の様子について答えたインタビュー。
『日本の夜明けだと思った。昔は焼け野原だったんだよ。その羽田高速をビートルズを乗せた車が走ってる。自分たちの金で、あんなすごい人たちを呼んだんだから。』
当時の日本はまだまだ貧乏だったそうですが、ビートルズを日本に迎えられたということは、音楽シーンも、大衆も、とても勇気づけたことだったのですね。
若者に勇気を
そして、ビートルズのライブを生で観た人はもちろん、当時彼らの音楽に触れた若者たちは、大変勇気づけられたそうです。
当時の歌謡曲は、作詞・作曲・歌手は別でした。
ビートルズのようなシンガーソングライターのスタイル、自由に歌いたいことを自分で表すことを肯定することに繋がったそうです。
”自分たちもやっていいんだ、できるんだ”
”これからは若者が時代を作るんだ”
という勇気を与えました。
欧米だけでなく、日本の若者をも牽引した。
それがビートルズの凄まじさだと実感しました。
武道館のセットリスト
映画を観て初めてあの時のセットリストを知りました。
わずか30分で、2日とも同じ曲目だったそうです。
今だと単独で30分は大赤字でしょうね笑
それだけ当時のビートルズには価値があった。
観られるだけで、感じられるだけでよかったということでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=k5UhSSdRwAk
セットリストは以下です。
Rock And Roll Music
She's A Woman
If I Needed Someone
Day Tripper
Baby's In Black
I Feel Fine
Yesterday
I Wanna Be Your Man
Nowhere Man
Paperback Writer
I'm Down
30分で11曲というのはすごいですが、正直微妙なセトリですよね笑
そこで、私なりに、当時私が会場にいたら喜んだであろうセットリストを考えてみました。
私のセットリスト
来日は1966年の6月なので、アルバムのリリースは「ラバー・ソウル」までになります。
そこで、当時演奏可能であった、「ラバー・ソウル」までの私なりの理想セットリストを11曲選出しました。
私なりのセトリ。
Drive My Car
The Night Before
Mr. Moonlight
Can't Buy Me Love
Tell Me Why
Ticket To Ride
Eight Days a Week
Help!
Wait
In My Life
All My Loving
こんな感じです笑
皆さんも理想の武道館セトリを妄想して、コメントで教えてください!
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
半分以上自分の思い出語りになってしまいました。
私にとっても、ビートルズはそれだけ特別です。
映画もとっても面白いので、ぜひご覧ください!
ブログでは映画に関する情報をたくさん紹介していますので、ぜひ遊びにいらしてください!