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陶器オリンピック代表選手

「冬季オリンピック」で思い出したから、陶器の話をしたい。

私の地元は陶芸で有名な土地で、掘ったら良質な土がめっちゃでる。ので、幼い頃から学校の授業など、普通の出来事として陶芸体験をしてきた。
(ちなみに、サムネ画像の皿は母の手作り)

その中でも私が覚えている優しい思い出。

家の真向かいに幼馴染がいて、連れ回していたある日。落とし穴をどこまで掘れるかという、クソガキ極まりない遊びをしていた。スコップで小学生の腰ぐらいまで掘ったので、今思うとなかなかのもんだとおもう。

掘った土は大量で、その半分以上が粘土だったので、せっかくだから花瓶を作ろうと言い出した、さすがクソガキ日本選手権代表の私である。

それまではいつものごっこ遊びだったが、幸か不幸か、幼馴染の隣には、陶芸家の先生が住んでいたのだ。(私のななめむかいのお家)

私と幼馴染はこねくりまわして作った花瓶に見えない花瓶を先生の家の前に置いて、「この2つを焼いてください、〇〇より」とした。無礼の極み乙女である。

後日クソガキなりに遊んでいると、先生が私たちの不恰好な花瓶を味のあるものに完成させてくれていた。
が、私たちは完成したことに大喜びで、正直そこまで大ごとに思っていなかった。

今思うと、なんでもっと感謝を伝えなかったのだろうかと悔やまれる。

あの完成品は、焼くだけでなく、土だけでは崩れやすいからと粘着物を混ぜたり、ツルピカになるものまで塗ってくれていたのだ。

材料費がかかる無利益なものは、時間をかける必要はない。プロの本業としてしているならなおさらだ。曲がりなりにもクリエイターとして働いているので、そこんところはシビアに感じている。

そうにも関わらず、手間暇かけて完成させてくれた先生は、間違いなくただの近所の子に愛を込めてくれていた。

陶芸作品に触れるたび、この事実で胸がいっぱいになる。宝物みたいな思い出ってこれのこと。

この思い出があるから、陶芸が好きだし、「作る」仕事が大好きだ。私のために誰かが何かをしてくれた際、その時間と気持ち、労力への感謝を忘れないという教訓を得れたことも考えると、「今の私」を大きく形作っている。陶芸だけに。

今度帰省したら、ありったけの感謝の気持ちを述べた後、どんな思いで完成させてくれたのか、聞いてみたいと思う。

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余談:こないだ『博士の愛した数式』読み直したけど、完全にその「先生」で脳内再生されてて、ルートくんの気持ちも先生の気持ちも分かるなぁと思いました。

これからは私が愛を込める側に回ろうと思います。愛の伝道師、他にも募集中。

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