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映画「バグダッド・カフェ」

 久しぶりの癒やし時間には映画を。観直したくて、家事を急いで終わらせてソファに座る。
 最初にこの映画を観たのは、最初の結婚が終わった時だった。若かった。家に帰りたくなくて、寄り道しては映画を良く観た。レイトショーとかも。このバグダッド・カフェは、たぶん神谷町にあったミニシアターだったかな。離婚調停から審判まで、仕事をしながら裁判所に通い、弁護士と打ち合わせをして、新たに住まいを探して、約一年間ほどを目まぐるしく過ごした。相手側がなかなか承諾せずに、しまいにはストーカーにまで発展して生活はグダグダに…。

 もう、過ぎ去ったこと。

 映画が人生を支えてくれることがある。


旅行中に夫婦喧嘩して車から降りるなんて始まりも、洋画にはあるあるシーンかも。荷物を引き摺りながら歩く姿に自分を重ねる。


夫の車から降りて、汗だくになりながら荷物を引いてたどり着いた女と、椅子に座り込み出ていった夫を、複雑に思い出して涙を流す女が出逢う。


 自由に好き勝手に語り記します。




 この映画で全編を通して感じるのは、「人は皆、孤独を抱えている」「人は皆、ひとりでは生きられない」だった。結婚しようがしまいが、一緒にいようが別れようが、関係なく、人はひとり。認めて覚悟を決めなければ孤独からは逃れられない、生きている間はね。それに孤独を腹に収めないと、他人とも上手く付き合うことも出来ないから。
 今、振り返っても、孤独感をどう受け入れて受け止めるのかを試される通過点でもあった。母親を幼い頃に亡くす経験から、孤独がどのようなものかは嫌と言うほど実感した。子供ながらに、自分のことは自分で簡潔にこなせるように努力をしたし、どこか大人びて見られた印象も、自身では分からないが他人の倍の速度で早く成長したい表れだったかも知れない。にも関わらず、大人なってからの自分の家族や居場所を失うことは、思っていた以上に辛かった。ただ、寂しいからと縋るつもりはないし、それが出来るような性格じゃない。積もってしまった違和感をリセットしなければ前には進めない。その気持ちを隠して抑えて一緒には生きては行けない。暗い顔をしているのも、この先の時間を無駄にするのも一番嫌だった。切るならばばっさりと、どちらにしても痛みが強いならば短い方がまし。恨まれはするだろうけど。相手は心変わりしたことを知ると烈火のように怒り、一方的に責めた。自分は悪くないと。わたしは認めた上で別れたかった。

 罵る言葉を聞く時間こそ、無意味なことはない。嫌悪だけが増す。
同時に、「別れる選択は間違いじゃなかった」と、その場で結論も出た。弁護士が言った。「女性は決断が早い」わたしは返した「いえ、人間は決断の連続だから時間が惜しい。特に女性であることは関係ないと思います」

 なんと、可愛げのない女よ。

 でも、ずっと"可愛い(媚)を売るか売らないかは自分自身で決めるから"と当時は思っていた。

 なんと、生意気よ。


説明なんて必要ない。ふと、耳に流れて来るとすぐに映画が浮かぶ。夕暮れ時のドライブなら最高。




 曲にどっぷりと浸って居たら、思い出したことがあった。運転免許証の更新で、講習中に教官が困惑顔で来て、呼ばれて「ご主人が此方に向かっていると連絡があったから、ああ、もう先に渡すから急いで帰って」と、(当時は、ただの家出人扱いだと、身分証で端末から発見されて家族に連絡という流れがあった)
まだ籍が入っていたし、ストーカー規制法がまだ施行されて間もない頃で、弁護士と役所の担当者が警察に通報し、ほんのタッチの差で遭遇することはありませんでした。(この時、今後組織をすんなりと信用しない、連携していないから気をつけようと個人的に思った)
と、新しい免許証を持って、試験場から駅まで、フルマラソンのゴールを目指す勢いで走り抜けた記憶が汗と共に忘れられない。必死だったはずだけど、何処かでそんな状況である渦中を笑える自分いた。だから、馬鹿らしさを乗り越えられたと思う。


 愛車も取られたのよね、ムカつくけど。

 まあ、モノはまた買い直せる。

 心と体が大切。

 逃げるが第一に。

 逃げてくださいね。


明るい未来への序章で、主人公のジャスミンのmagicが始まるお気に入りの場面。


いつかふらりとバックパックで訪れてみたい場所。


 寂れて(錆れて)いたカフェに、活気が溢れていく。店の片付けをして、整理整頓すると全てのドアが開いていくように、関わり合い集う人達の心も穏やかに解されて、満たされた笑顔が伝染し賑わいが増す。

 「本当の自分」とよく聞く言葉があるが、熱心にやりたいことを取捨選択をしつつ、無意識のうちに肩の力を抜いて過ごせる時間を重ねることが出来ているならば、それが最良の幸せ。人生は長いようで短い。ならば楽しい方がいい。分かり合えることに血の繋がりも関係ない。魂で心底から感じられる感覚を見ていると、出会いが訪れる瞬間がある。結論から言えば、「本当の自分」など探しているうちはない。感じられなかっただけで、既にあったことに気づく。

 わたしも再婚をするつもりはなかった。けど、今の夫と出会って気持ちの変化があった。
「人には縁がある」ならば身を任せてみようと思えた。
但し同じ轍は踏まない。離婚なんて二度と経験したくないと決意して現在がある。自我を張る以上に、忘れてはならないのは、相手を気遣える優しさを持ち合わせられるか?どうなのか?自分の精神を培えるか?自分以外の人と暮らすには配慮が必要なのは当然で、
結婚したい人ならしたらいいし、結婚したくない人なら独身で生きていいし、その中間点、結婚に向かないながらもひとりじゃなくてふたりでいたいならば、頭を使ってよく考える。自分の場合はそう。
そんな試行錯誤を繰り返した年月が過ぎた。
一番は、やっぱり一緒にいたいから。あと、きちんと甘えるところは甘えられるのも強さの一部であると悟れた。
年を重ねるほど、可愛いげあるおなごの方がいいじゃないの。(たまに言い聞かせて)



もう家族のようにお互いを信頼し合う女同士。カフェにも日常が漂い始めた頃、また荷物を引き摺り帰って来た。


 不法滞在になって、一旦帰国した女が再び帰って来た。


 もう戻って来ないのかも…を見事に裏切ってくれた胸が躍るシーン。


でも、一番帰って来て嬉しかった人はこの人ね。ずっと好意があったから絵のモデルをお願いしただろうし、お互いにどんどん大胆になって行く時の流れも微笑ましく感じた。


 ふたりの女に、それぞれの人生の歯車が再び動き出す。

 ラストシーンで、もどかしい「結婚しよう」のプロポーズに、女が答える台詞に笑顔になった。
そうそう、結婚するなら、まずは親友に相談してからじゃないと。

 もう、表情から予想はつく。


 バグダッド・カフェというからには、劇中に飲むのはコーヒーじゃないとね。紅茶で済ませてしまったので、入れ直して濃いやつを飲み直そうと思います。

 コーヒーマシンは持っていないけどねー。





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