世代間連鎖と親の呪縛【母娘関係】
昨日、もう一つ「これは世代間連鎖だ」と思うことがあった。
適応障害の症状が悪化するとき
最近、私は母の言動にショックを受けて落ち込み、そのまま寝込んでしまうことが多いと気がついた。
母の本音に触れ、
それが私の望む母の姿からかけ離れていたときに、私は私の将来や人生に絶望してしまうらしい。
自分でも「大袈裟」と思うけれど、今の私はそれほど母の言動に影響されているんだ。
私が絶望してしまう母の特性
私は子供の頃から「わかってもらいたいのにわかってもらえない」という気持ちを母に抱き続けてきた。
理解されない満たされなさと、欲求不満さから
ずっと承認欲求を拗らせている。
真剣に話を聞いてもらえない
母には、私が真剣に話していることが伝わらない。
私が真剣に悩んでいることが伝わらない。
「面白い話」として受け取られて笑いに変えられてしまう。都合が悪いと怒って遮られてしまうか、母が自己嫌悪に耐えられなくて話の途中で「ごめん」と謝られて話が終わってしまう。
それか、自分の話にすり替えられてしまう。
結局最後まで私の話を聞いて気持ちを受け止めてもらえない。
話を最後まで聞いてほしいと訴えたけれど、母は私が大事な話をしている最中で雑誌を開き始めたり、私の洋服をいじりだしたり別のことに気をとられてしまい、集中力が続かない。
話の途中で母が「あ!」と何かを思いついて全く違う話を差し込んでくることもよくある。
だんだん私は、機嫌が悪くなってしまう。
私の承認欲求
原因の一つに、私の承認欲求がある。
幼い頃から「理解してもらいたい」と言う欲求が満たされないまま来ているので、しっかり話を聞いてほしいという気持ちを消すことができない。
子供の頃に、忙しい母に聞いて欲しい話を貯めて一気に話そうとして、吃音障害になったことがあった。そのくらい母に「聞いて欲しい」という気持ちを長年貯めている。
だからつい話が回りくどく、長くなってしまう。
母の特性の問題では?
もうひとつ今日気がついたのだけど、「これは母の特性も関係があるのでは?」と。
母は、最近は頑張って話を聞こうとしてくれている。少なくともその気持ちは感じられるようになった。
(それでも私の話の途中で意識がよそに移ることは多いけど)
母は私の話の途中、特に大切な場面でいつも決まって何かを手にとっていじりだすのだけど、これはキャパオーバーだからじゃないかな?と。
おそらく、私の話を理解するのにものすごく苦戦している。
話が通じなかった祖母
そう思ったら、亡き祖母の顔が浮かんだ。
祖母は本当に話の通じない人だった。
おそらく普通の人ほど
考える力が発達していなかった。
私たちとの会話はほとんど祖母の気分で
こちらの発言への反応は反射的に行われていた。
なので、きちんと互いの発言を理解し合ったコミュニケーションはとれなかった。
行政から来た手紙や書類を読むこともできなかったし、家事や子供の世話もほとんどできないネグレクトの状態だった。
家族の中では後から「きっと何かしらの障害持ちだったのかもね」と話している。
母の過去
そんな祖母の代わりに家事をするのが当たり前だった母。
優秀な祖父に「きちんとした娘」になるように圧力をかけられてきたが、毎日祖母の代わりに家事に明け暮れていたので勉強をする暇がなく、祖父の期待に応えられなかったそう。
母の中で「私はできない。出来損ないだ。」というコンプレックスが膨れ上がった。
「私はダメ。私はできない。」の連鎖
祖母は昔から何をしても人と同じにできない、空気が読めない、家事も片付けもできない、人とコミュニケーションを円滑に取れず周りから疎まれてきた。頭の回転もとても遅い人だった。
祖母本人は無自覚だろうけど、
劣等感から意固地になったり卑屈になったりしていたと思う。それがさらに人とのコミュニケーションを邪魔した。
それが母に連鎖している。
勉強をする時間を捻出できず、頭のいい叔母(母の姉)や祖父と比べて自分の出来なささに傷ついてきた。
「私はできない。出来損ないだ。」
この劣等感が祖母→母と続いているのかも。
その劣等感から「きちんとした母」であるようにと
母は私を厳しく育てた。
それが私には条件付きの愛に感じられた。
私は自己否定から努力をすることが止められなくなった。それが適応障害の元にもなったけど、今までは比較的出来が良い人として周りから見られていた。
それが母に
出来の悪い自分と出来のいい娘を比べてさらに自己否定を強くさせた。
「自分にとっての”当たり前”が出来ない人」とどう生活するか
私たち家族の目の前にある課題はこれだと思う。
祖父、祖母、父、母、私、とみんな、”自分を基準にして”相手が同じことをできる前提で何かを求め、
やってもらえず落ち込む。
私も、母の得意なことを求められてできなくて、自己否定をして育ってきた。
逆に、私が簡単にできることが母にはできなくて、それを責めてしまう。それが「愛情のなさ」に感じられて拗ねてしまう。
私たち家族が今求められている事は、
自分たちが何ができないのか、自分の特性を知り、
それによって、自分を否定し続けてきたことに気づくこと。
自分が当たり前にできることを相手に無理に求めていることに気がつくこと。
例えば私なら、つい回りくどい説明を含めて話を長くしてしまう癖に気がつくこと。
そういう説明は母にとっては、わかりやすいどころか混乱させることになるという事を理解すること。
そして私の「わかってもらいたい。理解してもらいたい。」という気持ちは思った以上に強いと自覚すること。
家族の願い
世代間連鎖は、「受け継がれてきた願い」を自分の代で果たすことで断ち切ることができると聞いたことがある。
私の家は、みんなが家族の誰かに対して
「この人のこの部分がなければ、私たち家族はうまくいっていたはずなのに。」
と思っていたと思う。
裏を返せば、「幸せな家庭にしたかった。」
というシンプルな願いを、みんなが持っていたんじゃないかな。
その方法がわからなくて、
原因を自分以外の家族の誰かに見てしまったから
相手に押し付けることになってしまったんじゃないかな。
だから私は、まずは母に変わることを望むのを
やめなきゃいけないと思った。
自分の中に工夫して改善する部分を見つけていくことが、数少ない今の私にできることなんじゃないかな。