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世代間連鎖と親の呪縛【生活環境】

実家の中庭の椿の木をしっかりめに剪定したら、
中庭がすごく明るく綺麗になって、とても嬉しかった。

切ってから数日、嬉しくて嬉しくて何度も明るくなった中庭を見に行って
そこに洗濯物を干すのもとても楽しくなった。
 
 
今まではめんどくさかった家事がひとつ
楽しいものになった。
 


大したことのない話のように聞こえるかもしれないけれど、これは私の家ではものすごい進歩。


住環境」も私の精神疾患に大きく関わっている。




「生まれた環境」コンプレックス


私は生まれた時自分の周りの環境や持ち物そのものをコンプレックスに感じていた。


それは、住環境も当てはまった。




自己否定が止まらない

昨年適応障害になって、15年ぶりに実家に帰ってきた。

住まわせてもらってそんなことを言ってはいけないとずっと我慢していたのだけれど、
本当は私は実家にいるとどうしても自己肯定感が下がる。


もともと実家に帰るたびに、アレルギーや蕁麻疹が出ていて、1年前に実家に住み始めてからは
大人のアトピーになってしまった。


家のせいにしたくないけれど
でも、やっぱり私には実家の環境がストレスだ。



家に染み付いた「感情」と負の連鎖

祖父母も母も「もったいない」と、ものを捨てられない人たちだった。


そして「不用心だから」「恥ずかしいから」といろいろなものを見えないように隠す癖がある。

さらに祖父は家族に生活費を削らせて、自分の趣味や家族の旅行にだけお金を使う人だった。


祖母は掃除や片付けの全くできない人。
そんな祖母を毎日のように、祖父が怒鳴って叱りつける。母と姉は、祖父母のそういった様子が恐ろしく縮こまって幼少期を過ごしてきた。


私は、人や物や空間から「感情」が流れ込んでくる体質があって


この家からは、
悲しい、辛い、愛されない、私なんて価値がない、
そんな感情で満ちているように感じる。


もう、重いし悲しいし気持ち悪くて仕方がない。



「お前には価値がない」って家が言ってる

帰ってきて暮らしていくうちに、
汚れたところや
物に溢れたところ、
「安いから」で買ったものに溢れていて


そのひとつひとつが
お前はこの程度の人間なんだ
お前にはきれいな環境を与える価値もない
といっているようにしか思えない。


親から言われる「もったいない」は
=お前には価値がない
と私には聞こえる。


我慢が美徳の家族たち。
外でいい人を演じて家の中で不満を撒き散らす

そんな生き方が家に映し出されていて
感情が物に染み付いていて、

私には、家がいじけてるように見えた。
可哀想で仕方がなかった。

実家の片付けは、母の過去を癒すこと

だから、私は一人暮らしをしていた時から
実家に帰るたびに、少しずつものを捨てて水拭きをしたりと、私なりに自分の実家を愛でていた。

去年、実家に住まわせてもらうようになってからは
1部屋1部屋ものを確認して整理していった。

私にとって家を片付ける事は、自分の過去と向き合うことであり
同時に、母に過去と向き合ってもらうことでもあった。

以前、彼と結婚の話が出ていたときに
母がどうしても部屋を片付けられなくって、家に呼ぶことができなくて流れたことがあった。

結婚の話がなくなったのは、母のせいだけではないけれど、私はすごく母を恨んでいた。

だから今回は、なぜ母が片付けや捨てることにそんなに抵抗があるのか、少しずつ母自身と話をしながら進めていった。

そうしたら、母のトラウマがボコボコと出てきた。

母の肚の底の本音が出てくるたびに母はボロボロと泣いたけれど、きっと心の中が癒されていて
少しずつ抵抗なく、自分のために生活環境整えられる母になってきている。

「片付けたい」という私のわがままな欲求は
無理矢理だけど、母の過去を癒すことでもあるんだ。


私の願いは母や祖父の願い

だから今回、母が中庭の椿の木をしっかりと日が入るほどにまで剪定できたのはすごい進歩だった。

本人も自分でそう言っていた。


「家の中が見えたらいけない」と、
大きな木で覆い隠したり
分厚いカーテンで締め切ったりと
全く日が入らず、

それがさらに家からいじけた空気を出しているように感じていた。


すっきりとした木の間から入る明るい日が、
最近やっとものが少なくなってきた部屋に差し込んで本当に嬉しい。

そもそも、祖母が全く片付けができなかったので
祖父が毎日のように怒鳴っていたらしい。 

母も、祖母の代わりに片付けをするのが嫌で仕方がなかったそう。

私はものを捨てると「もったいない」と、母にずっと抵抗され続けたが、
「片付けたい」
「家族が気持ちよく暮らせるようにしたい」
「家族仲を良くしたい」
というのは、本当は祖父母、母も願っていたことだっただろうに。


「遺してくれた」戦争経験者の祖父へ

そう思うと、母や祖父を恨んでしまいもするけれど、こういう世代間連鎖を断ち切ることは私たちの世代の使命なんじゃないかと最近思うようになった。

祖父たちは、戦争を経験した世代。

「もったいない」も「我慢しなさい」も
祖父たちがそう耐えてきてくれたから、今私たちは日本に住むことができている。


そうやって我慢してきてくれた祖父たちの心の傷を
母の世代が直接の受け皿となり受け負って
母たちは、我慢と努力の厳しい時代を過ごしてきた。


そういう母に育てられた私が
連鎖してきたものを受け取ったという事。

世代間連鎖というものがそういうふうに受け継がれてきたのなら、気がついた私がここで断ち切るのが
日本という国を残してきてくれた人たちへの恩返しであり

次の世代の人たちへできることなんじゃないかなと最近思っている。

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