適応障害の原因「見栄」
私が適応障害になった原因の1つに「見栄」がある。
そしてそれは、世代間連鎖につながる気がするのでまずは私の「見栄」の背景を考えてみようと思う。
適応障害の原因のひとつ「見栄」
私は臨床心理士の先生に「マイさんの適応障害の原因の1つに見栄がある」とご指摘をいただいている。
納得できるようなできないような、しっかりと腑に落とすことができなかったので、何ヶ月も考えていた。
両親の家の違い
私は地方の特に目立つ観光地もない住宅街の出身。
同居していた母方の祖父は、地元の大きな会社の重役で、その子会社をいくつか任され社長もしていたりとまぁまぁ地位のある人だった。
私の父はその子会社の平社員で、父は逆玉の輿婚だった。
母の実家と父の実家では、明らかに社会的な格差がある。
母は箱入り娘の世間知らずだったため、何も考えずに父と結婚したそうだが、結婚してから価値観の違いに驚くことが多かったそう。
私の家は、だんだんと父の影響が大きいためか
品性や育ちの良さとは、かけ離れた空気になっていった。
格差コンプレックス
私は大きくなるにつれ、周りの人たちと自分の育ちの違いに悩むようになった。
自分よりも育ちの良い子が、私の言動に引いているような素振りを見せることに気がつきはじめた。
それが次第に私のコンプレックスになり、実家で学べないことを周りの人をみて真似たり、本を読んだりして補うように努めた。
ひどくなるコンプレックス
高校卒業後は実家を出た。
大学や留学、就職、転職などをする中で、国内外のいろいろな土地に移り住み、地元では出会えないような人ともたくさん出会った。
いろんな人と出会う中で、今までの自分が以下に狭い世界で暮らしてきたか、どれだけ世間一般の「当たり前」を知らずに、そこから外れて生きてきたかを思い知った。
私は今までの自分の過去や、自分を取り巻いてきたものの、全てが恥ずかしくなった。
自分の恥ずかしい部分を塗り消すように、特技を増やしたり、身に付けるものや行動範囲、付き合う人のグレードを上げて行ったりと、自分を固めていった。
私にとって「見栄」は
恥ずかしい自分を隠すものであり、弱い自分を守る装備だった。
結局、私が長年かけてやってきた事は、
自分の出自やアイデンティティ、持って生まれたもの全てを否定する「自分の全否定」だった。
全て剥がされ生まれた土地に帰ってきた
私は2020年に、コロナによって仕事を失った。
前職は、コンプレックスだらけの私を「何者か」にしてくれる完璧な鎧だった。
まずそれを剥がされた。
その時にお世話になっていた方に声をかけていただき、その方がしていたお仕事を手伝い始めた。
コロナで前職を失ったことを皮切りに、
知人の仕事を手伝った4年間で、彼氏も家もお金も持ち物もほとんど失った。
それらは全て、私を「何者か」にしてくれる私にとって完璧なスペックの物だった。
極め付けは2024年の1月。
手伝いをしていた仕事もできなくなり、適応障害と診断され実家に帰ってきた。
働く能力も、体力も、生きる気力も、
全て剥がされた。
自分のコンプレックスに抗うように必死に纏ってきたものが全てなくなり、私は絶望した。
全く自己肯定できない。
こんな自分でどうやって生きていったらいいのかわからなくなった。