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論理という「道」。
さまざまな型について考えようとしているのだけれど、論理的思考にも型がある。論理的思考の型と考えられるもののひとつが「筋道(すじみち)」だ。筋道というのは、いったいどんな道なのか?
筋道がおかしいと「矛盾(むじゅん)している」「辻褄(つじつま)が合わない」ことになる。まずこの語源を辿ってみたい。
矛盾というのは、小学生でも知っているように、中国の故事にある「ほこ(矛)」と「たて(盾)」の話に由来する。矛というのは剣のような攻撃用の武器であり、盾は身を守る防御用の武器だ。
ある武器商人が言った。「この矛はスゴイよ。どんな盾も突き破ってしまうよ」。続けてこのように言った。「この盾はスゴイよ。どんな矛で突いても破れないよ」。そこで客が「その矛で盾を突いたらどうなるの?」と質問したところ、武器商人は困ってしまったという話。
ダブルスタンダード(二重規範)という言葉もある。あっちの客には盾を突き破れない矛を売り、こっちの客には矛を完全に防げるという盾を売るようなケースである。商魂たくましいといえそうだ。
営業トークとしてはありがちだが、そういう売り方をしていると、いずれ信用を失う。事実検証をした上で「この矛は、従来の矛よりも35パーセント深く盾を突き破ることが実証されました(当社比)」のようにデータぐらいは提示してほしい。
辻褄は裁縫の用語である。辻とは縫い目が十字に合わさるところ。時代劇では辻斬りなどと言われるが、十字路つまり交差点のイメージだ。一方で褄は、着物の裾の左右の合わせ目である。
細部をびしっと整えることが、日本の美しさの基本ではないか。合うべきものがきちんと合って、整っている状態は気持ちいい。道理にかなっていると、背筋が伸びる。細部がてきとうなひとは、だらしない。つまり辻褄が合っているというのは「論理的に美しい姿をしている」ということだ。
という具合に矛盾と辻褄を解説したのだけれど、はっきり言って、こういうウンチクはどうでもよくないですかどうですか?
前書きが長すぎるのが自分の悪いところだ。こうやってウンチクを語っているうちに、読んでいるひとは道に迷う。ええと、何の話でしたっけ?ということになる。子どもたちに教えるときには気を付けたい。どうでもいい話を自己満足のために延々と続けるセンセイはうざい。
先日読み終えた里見弴さんの『文章の話』がまさにこういうスタイルであった。3分の2ぐらい人生論が続いて最後にちょこっとだけ文章について書いてあった。脱力した。でも面白かった。個人的には好み。
そこで閑話休題。
論理とはA→Bという筋道である、と単純化してみたい。
もちろん、それ以外の論理もあるのだけれど、道はまっすぐであったほうが分かりやすい。迷路のように入り組んだ道から始めようとしてはいけない。迷宮を彷徨うのだって、意味があるのだけれど。
「A→B」という筋道は「原因→結果」という流れであり、因果関係を示している。筋道は、ものごとの順序でもある。時系列の流れは、因果関係の代表的なものといえそうだ。そしてタイムトラベラーではないので、一般的に時間は逆行できない。
この型に合わせて例文を考えてみた。
雪が降る → クルマが走れなくなる
雨が降る → 地面が濡れる
スマホを道に落とす → 汚れて画面が割れる
温室効果ガスが増える → 地球が温暖化する
物価が上がる → 人々の生活が苦しくなる
なるほどね、と考えるかもしれない。順序の面から考えると、逆はないだろう。クルマが走れなくなると雪が降ることはないし、地面が濡れたら雨になる天気はおかしい。しかし、ほんとうだろうか?
雪が降ってもスタッドレスタイヤであれば走れるだろう。「スマホを落としたら画面が割れました。新品に交換してください」と販売店に持ち込んできたとしても、自分自身でとんかちを使って叩き割ったかもしれない。つまりスマホを落としたと嘘をついたのだ。
推理小説では、こうした細部のアリバイ崩しが重要になる。雨が降ったことは事実かもしれないが、その時間帯に路上にクルマが停車していれば、道は濡れていない。あるいは雨が降ったと嘘をついているかもしれない。
あらゆる可能性を吟味した上で、ここがちょっとおかしいぞ? というアタリをつける。直感で分かることもある。そして、論理の矛盾や辻褄の合わない部分を突き止めていく。
ところで推理にも言えるかもしれないが、アイデアを文章にまとめるときには、メモを取ってからアタリをつけて原稿にまとめていくとよい。この流れは次のようになる。
メモ(発散思考) → 原稿(収束思考)
ちなみにこの筋道も逆はない。ただし、繰り返すプロセスはあってよい。原稿を書いているときに分からなくなったらメモに戻り、メモで考えを整理して再び原稿に向かう。
発散思考の段階では、思いつく限りの出来事や考えを列記する。空間的に配置するマインドマップのようなツールもあるし、箇条書きも使える。KJ法のようなカードを使う方法や、ホワイトボードに書き出したり、フセンを使ったりしてもいい。
発想を拡げて可能性を吟味した上で、使えそうな展開、あるいはビジネスの課題解決の場合には課題の原因となる「犯人」を探していく。
このときに漠然と考えるのではなく、軸を決めておくと発想しやすい。軸の考え方のひとつに5W1Hがある。発展させると「時間は?」「どこ?」「天気は?」「そこには誰がいた?」「何を言っていた?」「服装は?」「表情は?」「気持ちや感情は?」などなど。
ロジカルシンキングでは、MECE(モレなくダブりなく:Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive)という型も使われる。
構造的思考のフレームワーク(型、枠組み)には、ロジックツリーがある。樹形図とも呼ばれるが、拡がりとともに因果関係を整理するときに便利だ。
文章の書き方に話を移してみよう。ソシュールの言語学あるいは記号論には、統語(Syntagms)と範列(Paradigms)という概念がある。超個人的な解釈で分かりやすく説明するならば、たとえば次のような文章があったとしよう。
私は/自動車に/乗る。
「私は→自動車に→乗る」というつながりが統語。一方で「私は」の部分は「彼は」「君は」でもいい。さらに「自動車に」は「自転車に」であったり、比喩的には「いい話に」であってもいい。この拡がりが範列だ。つまりこういうことになる。
私は 自動車に
彼は 自転車に 乗る。
君は いい話に
タテの3行は交換可能。どの言葉も「乗る」につなげてよい。事実を描写する場合には「赤い自動車」と色に注目してもよいし「ドイツ車」のようにどこで生産されたかに注目することもできる。それぞれの視点で、使いたい言葉は選べる。
時間的な発想が統語、空間的な発想が範列といえるかもしれない。空間的な発想をすると詩的な言葉の拡がりが生まれる。一方で、時間的につないでいくと物語が生まれる。推理小説のアリバイも同様。物語は時系列で構成されている。だから、あらすじや筋道がある。
というわけで、ええと、なんだっけ?
そうそう。論理的に考えるとは「思考の道を作る」ことなのだ。
ただ思考の過程で選ばれなかった道もある。並行世界(パラレルワールド)といってしまうとSFのようだが、書いた文章の向こう側には、書かれなかった世界がある。正解というハイウェイがどーんと開けている道があれば、脇のほうに無数に分岐した歩道や裏道もある。
文章を書くときには、道を選ばなければならない。さまざまな思考を整理して、論理的な筋道を作る。
考えて文章を書くことに関していえば、あなたが選んだ道が正解になる。あなたが選んだ後に、道はできる。
しかし、正解ではなかったとしても「どこで道を間違っちゃったかな?」と再考することで、新しい道が開けるだろう。たまには道に迷ってみるのもいいものだ。道草をしてもいい。正解に突き進むだけが人生ではない。
そして、個人的には、選ばなかった道が見える人間、書かずに捨ててしまった思考の道筋を尊重する人間でありたい。マイノリティな道であったとしても、その道が間違っていたとはいえないのだから。
2024.02.09 BW