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【おとなの文章表現 #004】自己満足で構わない。
「読み手のことを考えて書きなさい。」
そんな書き方の指南をみかけます。
しかし、読み手とは「誰」のことでしょうか?
不特定多数の顔のない読み手に向けて
文章を書くことは難しいですよね。
読み手のことばかり考えていると、
書けなくなってしまう。
書けたとしても、
意識し過ぎて、媚びたような文章になる。
あるいは皮肉や嫌味になる。
ということで、第4回のコラムは
「自己満足で構わない。」です。
まず、あなたが文章を書いたとして
いちばん最初の読み手は誰でしょうか。
友だち、家族?
いやいや、最初の読み手は
「あなた」でしょ。
つまり、あなたは書き手であると同時に
いちばん最初の読み手でもある。
あなたが書いた文章で
読者としてのあなたを満足させることが
表現の出発地点になります。
あなたが読みたい文章を書けば
読者としてのあなたが喜びます。
「村上春樹さんのように書きたい!」
ならば、村上春樹さんのように書きましょう。
当然のことながら、あなたは
村上春樹さんではないのだから
書いているうちに変わってくるはずです。
それでオッケー。
自己満足で構わないと思います。
むしろ、自己満足を究めるところに
個性が生まれる。
文章に限らず、音楽や絵であっても
最初の鑑賞者は自分です。
表現者と鑑賞者を切り替えながら
盛ったり削ったり、ひとりで表現を整える。
その作業に没頭する。
最高の時間ではないでしょうか。
その楽しさを、大切にすること。
書きたい純粋な気持ちを
他者に向けた視線で汚してしまわないこと。
表現のシャドーボクシングであり
孤独な時間かもしれませんが
そこに、かけがえのない価値がある。
自分に厳しく、採点を辛くして
自己満足のハードルを上げていってもいい。
「これでは村上春樹度60点だ」なら
どうすればもっと彼に近づけるか考える。
そうして書いたものを誰かに見せて
「おっ、なんだか村上春樹みたいだね」
と言われたら、伝わっているわけです。
「真似してどうすんの?」
と言われるかもしれませんが
自分が満足しているのであれば問題なし。
他人の批評はスルーしていい。
「伝わってほしい」などと
他人に過度な期待をすれば絶望するだけです。
伝わらないのが当たり前。
でも、自分には伝わる。
そうやって自己満足を究めていくうちに
とんでもない表現が完成する(かも?)
まあ、時代に残る名文が書けなくても
文章をマネタイズできなくても。
自己満足の時間は楽しい。
それでいいのでは?
2024.09.27 Bw