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未来のためにできる、たったひとつのささやかなこと。
夢を見ることができなくなった。夢といっても、浅い眠りのなかで見る夢ではない。理想とか、かなえたい願いとか、いまここにない世界をイメージすることだ。
シニアという年齢に一歩踏み出してしまったせいもある。コロナ禍、異常気象による酷暑と雷雨、終わらない戦争、高騰する物価など、現実に打ちのめされたことも大きい。
振り返ればプライベートでは父を亡くし、母を介護施設に送り込んだ。子どもは髄膜炎で入院、あるいは不登校になった。生活を維持するために頑張ってきたが、こころが折れて仕事を続けられなくなった。
最近の個人的な日常としては、高熱が出て3週間のあいだ声が出なかった。夢どころではない。生きるのにせいいっぱいである。
このエッセイでは「未来のためにできること」について書こうとしている。テーマの一文を分解すると「未来の/ために/できること」になる。
未来は、夢に似ている。なぜなら実在しないし、つかみどころがないからだ。できることには、アビリティ(能力)が必要だ。つまり「あなたは現在の能力を使って、これから到来する時間と空間を変えるために、いったいどんな行動を起こすのか」が求められている。
率直に書こう。
いやもうムリなんですけど、と思った。
できることを把握するには、できないことを考える必要がある。「やればできる」と考えて、無謀な挑戦をしたのは遠い昔のことだ。
いまでも気持ちは若いのだが、気力だけでどうにかなる年齢ではなくなった。徹夜ができなくなった。変化への対応が鈍くなった。できる領域に対して、できない欠落が侵食しつつある。人生が廃墟の色に塗り替わる。
「きみの頑張りが地球を変える」。そんなB級コピーライターがSDGsのサービスに書くような楽観は、しらじらしい。頑張っても変えられないものがあるんだよ。
誰かのために人類のために行動を起こすには、余裕が必要だ。金銭的な余裕、精神的な余裕、身体的な余裕。自分さえ救済できない人間が他者を救済できるのか。
ムリだろう。わたくしひとり救えない人間に、世界は救えない。
いま未来のためにできることは、期待しないし、だからといって絶望もしないことだ。過剰に食わず、求めず、足るを知る。あらゆるものに感謝する。身辺の余計なものを処分して、日々をていねいに微笑んで暮らす。
そうやって今日を生き抜き、穏やかに死んでいくための準備をする。それだけしかない。
2024.07.29 Bw