【父の思い出】自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (18) - JANGAN MALU-MALU! Living with an Autoimmune Disease
【父の思い出】
私の父は、家では口数少なく、とても穏やかな人柄であった。父に怒られた記憶はほとんどなく、怒鳴っている姿も見たことがない。私のこれまでの人生で、自分がやりたいと言ったことに反対された記憶もなく、私が自分で決めたことをなんでもやりたいようにやってこられたのは、父の温かいサポートがあったからだと思う。私が20代で転職を決めた際には、自身は高校卒業後に就職した同じ会社に定年まで勤めあげた父が、「これからの時代は終身雇用ではないのだから、自分がやりたいことを自由に決めたら良い」と背中を押してくれたことをよく覚えている。
一方、家の外では非常に活動的な父で、人望が厚い人であった。私が小学生のころは町内子ども会のソフトボールチームの監督を務めたり、中学3年生の時にはPTA会長を務めたりし、大勢の前で話をする父の姿は堂々として、いつも笑顔で人の心に響くメッセージを伝えていたことが、子どもながらに印象的だった。私は今でも、人前で話をする際には子どものころに見た父の姿を思い出しながらお手本にしている。
父は、趣味も多く、何事にも興味をもって取り組んでいた。
高校時代にはマンドリンクラブに所属し、社会人になってもマンドリンを続けていた父は、楽器を演奏することが大好きだったようで、私が保育園から小学校時代にエレクトーン教室に通っていたころは、家で父がエレクトーンを弾いている姿もよく見かけた。私が中学校で吹奏楽部に入部してからは、自分ごとのように積極的に吹奏楽部の活動をサポートしてくれ、今回父の死を知った当時の顧問のY先生から、「お父様にはたいへん吹奏楽部がお世話になり、いつも大きくあたたかくそして毅然と私たちを包んでくださり寄り添ってくださいました」と温かいメッセージをいただいた。
8年半前、77歳で小脳出血で倒れるまで、地域のコーラスや、ソフトボール、輪投げ部、老人会などの活動に忙しく、北海道から沖縄まで全国各地を飛び回っていた。
今の私が、何事にも怒りを感じることなく穏やかに、どんなことでも面白く楽しく感じたり、前向きに感じたりできるのも、人との出会いやつながりを大切にしながら生きてきたのも、父の性格を受け継いでいると思う。
子どものころに父からよく言われて覚えているのは、「為せば成る、為さねば成らぬ」ということばである。武田信玄のことばに、「為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人の儚き」とある。やりたいと思ったことに意志をもって取り組めば必ず実現できるが、行動しなければ実現できない。やればできるのに、人間は、最初からあきらめてしまう弱さももっている。
私の新しい人生は、父の生まれ変わりのような気がする。父のことばを心に、人間は弱いものだと認めながら、やりたいことに意志をもって素直に自然体で取り組んでいきたい。
(つづく)
(カバー画像:父の86年3か月に感謝)