【退院後の初通院】【ベトナムのKさんの手相占い】自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (19) - JANGAN MALU-MALU! Living with an Autoimmune Disease
【退院後の初通院】
退院後の2週間は怒涛の日々だった。50日ぶりの自宅で一晩を過ごした後、静岡の実家で父との別れ、通夜・葬儀、市役所での諸手続き。梅雨明け直後の静岡は、気温40°Cにせまる猛暑日が続き、退院直後の身体にはつらい。入院中は、筋力が落ちないよう、なるべく毎日、病室でのスクワットや、大学病院と大学キャンパス内の散歩をするように心がけていたが、最後の2週間は新型コロナウイルス陽性による隔離のため散歩ができず、相当筋力が落ちていただろう。退院後、50日ぶりに病院の外に出ると、少し歩くだけで脚が疲れて痛くなる。無理せずゆっくり、少しずつ慣らしていくしかない。
2024年8月1日、退院してから初めての通院日を迎え、静岡の実家から東京の自宅に戻った。2週間ぶりの大学病院ではあるが、遠い昔に住んでいた家に帰ってきたような懐かしさを感じた。退院後の体調は悪くなく、この日の血液検査と肺のレントゲンの結果も悪くなく、ステロイド内服(プレドニン(プレドニゾロン))の内服量も順調に減量中(退院時の20 mg / 日から2週間ごとに減量、現在17.5 mg / 日、その後15 mg / 日の予定)で、次の通院日は4週間後に決まった。間質性肺炎の症状はあまり出ていないが、少し気になる症状としては、入院時から続いている手指の皮膚症状、声の枯れ、そして、身体を動かすと息が上がりがち、ということで、4週間後の通院日までの間に、念のため皮膚科・耳鼻咽喉科・循環器内科を受診することになった。
【ベトナムのKさんの手相占い】
入院中に思い出した思い出に、ベトナムのKさんの手相占いがある。Kさんは、「自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (15)」【私の原点 (3)】で紹介した内閣府主催「東南アジア青年の船」事業に、ベトナム政府の担当者として長年関わってきた方で、2005年の「東南アジア青年の船」事業では、Kさんはベトナムのナショナル・リーダーとして、私は運営側のスタッフとして、客船「にっぽん丸」で約2か月弱をともに過ごした。
2015年に私がベトナムのハノイを訪問した際には、Kさんのご自宅にホームステイをさせていただき、その際、Kさんに手相を見ていただいた。Kさんは、その昔、ベトナム戦争の混乱時、社会がどんな状況になってもどんな仕事でもやって生きていけるよう、ホテルでカクテルを作ったり、お客さんの手相を見たり、なんでもやって経験を積むように心がけてきたそうだ。
そのような経験からか、少々おせっかいで強引なところもあるけれども、自宅近くのローカルマーケットのマンゴーが絶品だから、と食べきれないほど大量のマンゴーを買って準備してくれたり、自宅前の路地にあるローカルな美容院のフェイシャルマッサージが評判良いから、と予約をとってくれていたり、おもてなしの心にあふれたKさんであった。
若いころに身につけたカクテルと、自宅の庭で栽培しているハーブがたっぷり載ったフォーをごちそうになりながら、手相を見ていただき、私の将来について語ったKさんのことばで印象に残ったのは、「55歳ごろに何らかのチャレンジ(大きな病気か怪我)が訪れるが、それを乗り越え、その後の人生は違う方向へ向かっていく」ということであった。実際にはそのことばよりも3年半ほど早かったけれど、まさに今回、私が51歳半で皮膚筋炎の診断を受け、50日間の入院を経て第2の人生を歩み始めることを表していたように思う。
また、Kさんは、自分自身のことについても、「近い将来、早ければ来年にも死ぬので、悔いのない人生を生きている」と話していた。この数か月後、2015年夏に来日し、福島県や岩手県など東日本大震災の被災地を訪れ、それぞれの地域での復興支援活動に参加し、各地の皆さんに心を寄せてくださった。自身のことば通り、この8年後の2023年にKさんは亡くなったが、常に悔いが残らないようパワフルに行動し、誰にでも温かい心を寄せてくださったKさんの姿からは、前に進む大きな力をもらってきた。Kさんのご冥福をお祈りしたい。
Kさんのことばと姿を思い出しながら、私も、悔いのない人生を生きていこうと思う。
(つづく)
(カバー画像:ベトナムのKさんのお宅でいただいた絶品マンゴー)
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