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【私の原点 (3)】【LOVE LETTER from ASIA】自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (15) - JANGAN MALU-MALU! Living with an Autoimmune Disease

【私の原点 (3)】

 入院37日目、面会に来てくれる予定だった友人が、私の新型コロナウイルス陽性による隔離のために面会できなくなったので、荷物を届けてくれるという。何かと思ったら、なんと、客船「にっぽん丸」の船長・機関長・ゼネラルマネージャー・パーサー・乗組員の皆さんからのメッセージで、大変感激した。
 「にっぽん丸」は、私がこれまでの人生で、通算2年弱を過ごした思い入れのある客船である。これまで私が関わってきた国際交流プログラムの中でも、特に大型の青年国際交流事業である、内閣府主催「東南アジア青年の船」事業の舞台として使用されてきた。
 1974年に始まった「東南アジア青年の船」事業は、日本と東南アジア10か国の青年(18~30歳)約300名が2か月弱をともに過ごし、船内及び訪問国においてディスカッション・各国文化紹介・ホームステイなどの交流活動を行うことにより、相互の友好と理解を促進し、国際化の進展する社会の各分野で指導性を発揮することができる青年を育成することを目的として実施されてきた。
 私はこの事業に、大学3年生の時に日本参加青年として、また、30歳の時に日本ナショナル・リーダーとして参加、その後、運営側のスタッフとして14回関わった。運営側のスタッフとして乗船する際には、使用する客船「にっぽん丸」の乗組員の皆さんと一緒に仕事をすることになり、長い時間をともにするので、プライベートでも親しくさせていただくほど大変お世話になった。そんな船上の皆さんから、心温まるメッセージが届き、「にっぽん丸」と「東南アジア青年の船」事業での思い出が次々に心に浮かんできた。
 以下に、今の私を作っている原点といえるエピソードを紹介したい。「自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (5)」【私の原点 (1)】で紹介した、多言語活動ヒッポファミリークラブの皆さん宛てに書いたもののため、多言語・多文化・多様性に焦点をあてた内容となっているが、この体験から私が感じたのは、自分が「日本人」から「アジア人」になり「地球人」になっていく感覚、国境が消えていく感覚、世界中の人は皆つながっているという感覚であった。

【LOVE LETTER from ASIA】

※ 以下の文章は、今から21年前の2003年9月23日に当時30歳の私が、ヒッポファミリークラブの皆さん宛てに書いたものから抜粋し、なるべく当時の原文に忠実に、わずかな修正を加えたものである。

 今僕は、内閣府の青年国際交流「東南アジア青年の船」事業(「The Ship for Southeast Asian Youth Program(通称SSEAYP)」、その後正式名称が「The Ship for Southeast Asian and Japanese Youth Program」に変更)に、日本ナショナル・リーダーとして参加して、東南アジアに来ています。
 「NIPPON MARU」の上では、一応Englishが共通語ということになっています。However, 様々なバックグラウンドをもった人たちが集まっているので、当然いろんなことばがとびかうMultilingualな空間になっています。日本語、ภาษาไทยパーサータイ(タイ語)、ພາສາລາວパーサーラーオ(ラーオ(ラオス)語)、ភាសាខ្មែរペアサークマエ(クメール(カンボジア)語)、Tiếng Việtティエンヴィエッ(ト)(ベトナム語)、ミャンマー語、Bahasa Malaysia(マレーシア語)、Bahasa Indonesia(インドネシア語)、Filipino (Tagalog)(フィリピノ語)、華語(中国普通話プートンフア)、福建(台湾・閩南ミンナン)話、広東話、タミル語、、、常時10以上のことばが耳にとびこんできます。
 面白いのは、「国のグループ」と「ことばのグループ」は一致しない、ということです。 例えば、典型的な多民族のSingaporeやMalaysiaの場合、主な民族は、華人(Chinese)、マレー系、インド系、ユーラシアン(混血)ですが、それぞれ混ざって会話をする場合は、同じ国の人同士でもEnglishだったりする訳です。逆に国がちがっても、例えば華人同士は華語(中国普通話)や広東語、福建(閩南)語、etc.で話します。華人はSingapore、Malaysiaだけでなく東南アジアすべての国にいますし、日本でも中国語を話す人は多いので、船の中ではもしかしたら、英語の次に広く使われているのは華語かもしれません。また、Indonesia, Malaysia, Brunei Darussalam, Singaporeのマレー系は、Bahasa Indonesia / Malayで会話しますし、これもかなり大きなグループです。それから、ภาษาไทยパーサータイ(タイ語)とພາສາລາວパーサーラーオ(ラーオ(ラオス)語)もお互いに通じます。

 この、タイ語とラーオ語の関係は、けっこう面白いです。タイ人がタイ語で話し、ラオス人がラーオ語で話して通じあっている姿は、ちょうど関東語を話している関東人と関西語を話している関西人が、お互いに違うことばを話しているにも関わらず通じあっているのと同じだと思いました。それは、お互いに相手のことばを普段から耳にする機会があるからこそ成立することです。例えば、普段沖縄語を聞く機会のない関東人がいきなり沖縄語を聞かされてもほとんど理解できないように、僕はこれまでラーオ語を耳にする機会があまりなかったので、ラオス人が話しているのを聞いて、タイ人には理解できるのに、僕には全く理解できないことがよくありました。それをタイ語に言い換えてもらえば分かるのに、です。でも、そうやってタイ語に言い換えてもらうことを何回かやっていると、だんだんとラーオ語の感覚がつかめてきます。
 一例をあげると、
English英語:  I                      love                you.
Thai
タイ語:   ฉัน (チャン)    รัก (ラッ(ク))  คุณ (クン)
Lao
ラーオ語: ຂ້ອຍ (​コーイ) ​ຮັກ (ハッ(ク)) ເຈົ້າ (チャオ)
と、一見全く違うように見えて、ラーオ語の感覚が分からないと全然理解できなかったものが、その感覚が分かってくると、それがパズルがはまるように落ちてきます。ちょうど、同じ漢字語の読み方を、日本語・韓国語・華語・広東話・福建(閩南)語、etc.で読み変えていくことができるようになっていくように。
 今まで自分の中にあったタイ語の「調和共鳴音群」が、カチャッとラーオ語の「調和共鳴器群」に切り換わり、その時からラオス人の話していることが分かってくるというような感じでしょうか。

 こうやってmultilingualな空間で生活していると、いたるところで、いろんな人がいろんなことばをおぼえて話すようになり、2つ以上の言語を混合して使う、いわゆる「Code-switching」が起こってきます。
 いくつか具体的をあげると、
・少し日本語を知っているマレー系シンガポール人 
「そうですねー、I will ask あとでね。」
・Chineseのシンガポール人
「After 吃飽了チーパオラ(華語:おなかいっぱいになったら), let’s go jalan-jalan!(マレー:散歩しよう)」
・Bahasaもできるフィリピン人
「Tapos(フィリピノ:それから), you cannot eat babi(マレー:豚), diba?(フィリピノ:でしょ)  Boleh?(マレー:できる)」

 その場でお互いに共有していることばが、こうやって自然に出てくるのがとても気持ちよく、これって今のASIA全体に広がっている感覚かもしれないな、と思いました。
 そういう中で気づくのは、やはりもともとmultilingualの感覚をもっている人は、新しいことばをとり入れるのがとても自然だということです。あるシンガポール華人の場合、中国語の6言語(華語、福建(閩南)語、潮州語、広東語、海南語、四川語)と英語を話し、Malayもなんとなく分かるのですが、彼がみんなから聞いてまねして話す日本語の一言一言が、本当に自然で日本人のようなのには、非常感服了(感服しました)。
 これも、もはやSingapore, Malaysia, etc.に限定されたことではなく、ASIA全体に広がっている感覚かもしれません。多言語を自然にあやつる人は本当にBanyak banyak(たくさん)います。
 
 船の中でのプログラムの一つに、各国の文化紹介があります。それを見ていて感じるのは、やはり「多様性」と「共通性」でしょうか。例えば、Indonesiaという国は、ものすごく多様な文化をもっていてそれこそ何干という違うことば、習慣、文化をもっていますが、それを「インドネシア」として表現してくることの美しさがあります。SingaporeやMalaysiaも、前述のとおり、主にChinese, Malay, Indianの文化があり、それの共存として「Singapore」「Malaysia」を表現します。その中で、例えばインド系SingaporeanがChineseの衣装でChineseの踊りをしたり、Chinese MalaysianがIndianの踊りをしたり、それが「自分たちの文化」を表現することになっているのです。
 そこから思ったことは、ヒッポファミリークラブの活動の中でも、インドの踊りをしたり、MéxicoやRussiaの歌を歌いながら踊ったりすること、それは「異文化」を体験するというところにとどまらず、「自分たちの文化」として表現されているんだということです。
 「Unity in Diversity(多様性の中の統一)」これはIndonesiaの国のモットーですが、ヒッポファミリークラブの活動も、まさにこの「Unity in Diversity」かな、という気がしました。

白鳥正信「LOVE LETTER from ASIA」(2003年9月23日)

(つづく)

(カバー画像:「にっぽん丸」から届いた、心温まるメッセージ)


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