【退院そして新しい人生のはじまり】【父との別れ】自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (17) - JANGAN MALU-MALU! Living with an Autoimmune Disease
【退院そして新しい人生のはじまり】
2024年7月18日、入院からちょうど50日目に、私の人生初の入院生活が終了した。いよいよ退院、そして、私の新しい人生のはじまり、私の第2の誕生日である。
入院最後の夜は、隔離個室から再び4人部屋に戻ったが、今回の入院で初めて、壁に囲まれて窓がなく外の見えないベッドで、隣の患者さんは今までの人生で聞いたことのないようなひどいいびきと寝言が一晩中続く。一晩の拷問であるが、これも、新しい人生を始めるための産みの苦しみと思って乗り越えた。
7月18日は、関東地方に梅雨明けが発表され、久しぶりの外の空気が蒸し暑い。
【父との別れ】
退院した日は50日ぶりの自宅で就寝し、翌7月19日未明、静岡の実家から、在宅介護をしていた父が旅立った、と連絡がきた。
父は、18年前に脳内血腫、8年半前に小脳出血、3年前に脳幹梗塞と、何度か脳卒中を繰り返したが、そのころはまだ元気にリハビリをしながら、基本的なことは自分で動いて生活していた。その後大腸がんが見つかり、2年前に手術をしたころから要介護4、8か月前には要介護5と認定され、最期は自宅で迎えたいと本人の強い希望で、母と、近くに住んでいる姉を中心に在宅介護をしていた。私も、可能な限り父との時間を過ごし、介護に参加したいと思い、なるべく実家に帰るようにしていたが、今年の正月に父に会ったのを最後に、私自身の体調が悪くなり入院することになったため、入院中もずっと父のことを心配して気にかけていた。
私が退院した日、実家に電話をして母と姉と話した時には、父はまだ元気で、直接話はできなくても受話器の向こうで聞いてくれていて、私が退院したことを喜んでいたそうだ。父も、私の入院を心配して気にかけ、退院まで温かく見守ってくれ、ほっとして安心したのだろう。母と姉によれば、最期はまったく苦しむことなく、普段どおりに就寝し、夜中に穏やかに息をひきとったということだ。
実家に到着して父の顔を見たとき、父が私の退院を待っていてくれたこと、そして私の新しい人生のはじまりを祝福してくれていることが伝わった。担当のケアマネジャーが、「ご自宅で最期を迎えられたことをご家族は誇ってください」と言ってくださったそうで、父の86年3か月の人生は、本当に幸せにあふれていたと思う。そんな父と一緒に、母と姉と、幸せにあふれた時間を過ごすことができたことに感謝したい。本当にありがとう。
(つづく)
(カバー画像:「静岡←→東京」は、幸せにあふれた時間)