【八雲立つ出雲へ】【退院から10週間】自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (22) - JANGAN MALU-MALU! Living with an Autoimmune Disease
【八雲立つ出雲へ】
父の四十九日法要の翌週、退院から約8週間が過ぎ、退院後初めて、静岡の実家以遠への遠出をした。
私が運営側のスタッフとして参加した、2004年の「東南アジア青年の船」事業の20周年を迎え、300名をこえる当時の参加者のうち、日本全国各地や、ブルネイ、マレーシア、フィリピン、シンガポールから、家族も含めて約30名が島根県に集まった。1泊2日をともに過ごす中、夕食懇親会ではその場に来られなかった仲間ともオンラインでつなぎ、世界中で活躍するたくさんの仲間が顔を合わせた。青年時代の2か月弱を「にっぽん丸」という船の上でともに過ごした仲間は、友人以上の絆で結ばれている。何年の時を経ても、再会した瞬間、オンラインの画面に顔を見つけた瞬間に、時空をこえ、国境をこえ、一瞬で20年前の関係性がよみがえる。今も世界では、対立する集団や国の間の争いが絶えないが、このような個人の間の強い絆にふれるたびに、国際交流の意義、世界中の人と個人的につながり体験を共有することの大切さを感じる。
(「東南アジア青年の船」事業については、「自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (15)」【私の原点 (3)】を参照。)
島根県といえば、奇しくも、入院中の2024年6月23日、私が所属しているアマチュア吹奏楽団の定期演奏会で演奏した曲の一つ「斐伊川に流るるクシナダ姫の涙」(樽屋雅徳作曲)の舞台である。この曲は、古事記に記される出雲神話ヤマタノオロチ伝説のヒロイン、クシナダ姫を描いている。ヤマタノオロチ伝説では、高天原から追い出され下界に降り立ったスサノオが、八つの頭と八本の尾を持つ大蛇ヤマタノオロチを退治し、生贄にされる運命を背負ったクシナダ姫を救い結婚、ヤマタノオロチの尾から出てきた草薙の剣(のちの皇室の三種の神器の一つ)を手に入れる。演奏会当日は私は一緒に演奏できなかったが、入院前に練習していた曲を想い、実際の斐伊川を眺めながら太古の神話の時代に想いをはせた。
島根の豊かな自然に触れながら、八百万の神々を身体に感じ、これからの新しい人生を始めるパワーを得た。その一方、9月中旬でも真夏日が続き、炎天下の出雲大社や松江城を歩いていると、想像以上に体力を奪われる。無理せずゆっくり進んでいこう。
退院後初めての遠出を無事に終え、自分の人生の一部である旅を今後も続けていける自信がわいてきた。今後少しずつ、日本全国各地、そして世界各地へも出かけていこうと思う。自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる旅日記を記していきたい、と考えている。
【退院から10週間】
2024年9月26日、4週間ぶりの膠原病内科の主治医の診察日。血液検査でのフェリチン値(臓器の炎症により著しく高くなる)は基準値内に落ち着いていて、ステロイド内服(プレドニン(プレドニゾロン)、現在7.5 mg / 日)の内服量も順調に減量中である。長らく気になっていた声の枯れはだいぶ良くなり、約4か月ぶりに声が出るようになってきて、入院前の声に戻るまでもう一歩である。残り、気になる皮膚症状としては、まぶたのむくみを伴った紅い皮疹(ヘリオトロープ疹)と、手指の皮膚ががさがさと角質化する症状(mechanic's hand、機械工の手)がなかなか良くならないが、ステロイド内服の減量スピードが早かったことが関係しているかもしれない、ということである。今後の症状を見ながら、内服量を調整するかもしれない。
同じ週、所属しているアマチュア吹奏楽団の練習に久しぶりに復帰した。約5か月ぶりに吹くクラリネットに心配はあったが、思ったよりも苦しくなることもなく、仲間も温かく迎えてくれ、これからも無理せずゆっくり楽器を楽しむことはできそうで、まずは一安心した。
(つづく)
(カバー画像:これからの新しい人生を始めるパワーをもらった稲佐の浜)
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