【エッセイ】健全なる魂とは。
健全な魂は健全な肉体に宿る。
肉体を健やかに保たないと魂も穢れていく。私たちは心身ひとつである。それぞれを分け隔てるわけことはできない。
習慣的にスポーツをしている人とそうでない人の間には明確な差があって、それは目視で瞬時に判別が可能なほどあきらかである。
痩せている、太っているということだけではない。体の使い方そのものが変わってくるからだ。
例えば歩くときの姿勢、例えば何か荷物を持ち上げるとき、単純に座っているだけでもそれなりの差ができる。
体の中心にある芯が直線的なのか歪なのか、締まっているのか緩んでいるのか、それがわかるのだ。
運動に慣れている人、鍛錬された人の芯は柔らかくしなやかな直線を体に持っている。
体の動かし方そのものが違う。動かせる速度が違う。
怠けることに慣れた体は醜い。無駄が多く鋭さがない。チェーンの錆びた自転車によく似ている。メンテナンスなされていない自動車にもよく似ている。
体が錆びているので動かないのだ。動かそうともがくほど動かない。
ヒトは、生き物は運動すること、日々を鍛錬することで身体を健全に保つことができる。
鍛錬には外へ出ることが必須で、それによって、四季を身体に感じとる。
匂い、風に含まれる水分、鳥の声、はしる誰かの弾む息。それからそれから……。
健全な魂は健全な肉体に宿る。
肉体を健やかに保たないと魂も穢れていく。
私たちは心身ひとつである。それぞれを分け隔てることはできない。
好き嫌いで言えば別に好きではない。好きではないが、穢れたくないし錆びつきたくない。僕は既に若くはない。だからこそ鍛錬によって、日々日々、体を作り直している。
自分は特別。自分は他人とは違う。そんな思いは幻想でしかない。鏡を見ればそのことはすぐにわかる。好むと好まざるに関わらず、人は間違いなく老いる。かつて子鹿のように痩せていた誰かも、風船のようにふくらんだおじさん、おばさんになっているものだ。年を重ねることそのものは抗えないが、しかし、樽のような体型になって若々しさを説いても、そんなものは誰も聞きはしない。
そんな当たり前のことを誰も言わない。せめて、ここで警鐘をガラガラと鳴らして、今日はここで終わりにします。
すっきり痩せた、健やかな体で生きましょう。
photograph and words by billy.
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