母の写真
市政50周年の今年、様々な記念行事が行われているらしい。
市が村だった頃の暮らしを捉えた写真展に叔母が誘ってくれた。主催者である知り合いに請われて、叔母も数枚提供したという。
写真の中に母がいた。
カメラを持つ人など少なかった時代、叔父が数ヶ月分のお給料をはたいて買ったライカで、私たち姪や甥をよく撮ってくれたが、大人の写真はあまりない。
母と一緒の子供時代の写真は、七五三と、小学校入学の朝など数枚あるだけだ。
母はこの春、旅立った。1ヶ月半の入院中、見舞うことが叶わず、呼ばれた時はすでに話もできなかった。
グチを言ったり他人を悪く言うことをしない人だった。脳梗塞で車椅子の生活になっても、弱音を吐くことがなかった。天然系のいいひとは、歳を重ねていい顔になった。たぶん若い頃よりずっと。2年前に肺炎で入院した時は、可愛いおばあちゃんが来た、と看護師さん達にモテモテだった。
命の終わりの日々に、ひとりでどんな思いでいたかと、このような状況とは言え、悔やみきれない。
朝、母の写真を覗く。花を生け替える。お線香の香りが漂う。かつて里山だった道を突っ切って墓にも花を手向けに行く。ルーティーンが心を整える。
若い友人達から今日、大きな花籠が届いた。訃報は伝えてなかったが、最近のメールにうっかり"遺影"などと書いてしまった。花を育てるのも眺めるのも好きだった母が喜んでいると思う。
写真展の一枚では、父と母が並んで田植えをしている。屈む姿がふたりとも若々しい。30代くらいだったか。畦道から沢山の子供が見ている。
近くの小学校の生徒達が、郊外学習で見学に来た折、隣接する庭から叔母が撮ったそうだ。
昨年暮れ、やはり病院でひとり息を引き取った叔父の元に叔母が嫁いできた頃、辺り一帯農地だったが、今は道路と住宅地になった。
もとの写真は叔母から貰うことになっている。
若かった両親と村の暮らしの、一枚だけの、本当に貴重なショットである。