旬の地物を食べる 🍅 キーウの食卓
パスタソースやレトルトのスープを買わなくなったのは、巣篭もり暮らしの恩恵かも。自分で作れば、美味しく進化してゆく楽しみがある。
春先、JAで入手したバジル(120円の苗を5本)がよく育って、バジルソースを繰り返し作っている。かつてはトマトサラダくらいにしか使わなかったので、使い切れぬまま、徒長させてしまった。蕾をつけ始めた穂先は、素麺に添える天麩羅に。ベランダの収穫が食卓を彩ってくれるのは嬉しい。
週に2、3回行くJAは、市内の農家から朝届く野菜や花が新鮮でお安い。
春を告げる地元の特産・のらぼうは癖がなく、毎日食べても飽きない。山菜が朝採りで並ぶのも楽しみだ。蕨には灰汁抜きの灰を付けてくれる。
農家で少しだけ作られる、珍しい野菜に出会うのも楽しみ。ぷっくりした子持ち高菜は、見るからに滋養のかたまり。キャベツ程もある紫のカリフラワーは、ピクルスにして、色と味を堪能した。
秋口には、塩茹でが美味しい、大粒の落花生・おおまさりが少しだけ並ぶ。千倉の居酒屋で食べて以来、季節になると探すのだけど、生の落花生はあまり出回らない。市内の農家さんが作っておられると知って感激。期間が短いので、要注意だ。
果樹栽培の盛んな隣の市から、こちらも市場にあまり出ない、特上の新高梨や高尾葡萄が届く幸運な日もある。
お米は玄米を好みの調整で精米してくれ、前回の米袋に入れてもらうとポイントが付く。希望すれば、糠床や灰汁抜き用に糠を付けてくれる。
地産地消は時間もお金も無駄がない。昼前には、棚が空になるのが小気味良い。作り手さんには、品目や出荷量の目安が掴め、作り甲斐を感じることだろう。
この季節一番のお目当ては、格別の濃い味をみんなが知っている完熟トマト。かなりの量が並ぶ日もあるが、開店時間に合わせて家を出ないと売り切れてしまう。
野菜は全て路地物なので、次に行った時にはもう入荷終了、はしょっちゅうで、トマトも来月下旬にはパタリと出なくなる。道すがらの畑も、収穫が終われば片付けられ、次の作物の準備が始まっている。旬を食べている実感が湧く。
片道30分の登り坂を歩くモチベーションを与えてくれる、運動嫌いには有り難い場所でもある。
キーウ市民が避難を始めた頃のニュース映像が忘れられない。市内にひとりで留まる、美しい顔立ちの若い女性が、上階の窓からカーテン越しに街の様子を窺いながら、朝食の準備をしている。
プレートの端にナッツをふたつまみ、そしてぎっしり実の詰まった大きな柘榴の先っぽを、ナイフでガリリと丸くえぐって、その脇に置く。
何故このような理不尽を受けるのか、自分が留まることを選んだのは何故か、この先への不安…涙ぐみながら女性は撮影者に語る。
今、世界が目の当たりにしている惨状の映像の合間に、人々の日常の光景もある。あの日朝食に添えられた柘榴が、彼の国の日々の暮らし、文化、土地の豊穣の象徴のように記憶に残る。
食べものが命をつなぐ。キーウのあの女性は今、安心して身を置ける場所で、1日の始まりの活力を満たす食事を摂れているだろうか。