うつ病的食欲論
私は調子が悪くなると食べ物受付停止、臨時休業日になるのだけれど。
その感覚には2種類あって
①食べ物を見ること自体で吐き気をもよおす。情報量過多による脳の混乱と食べねばというプレッシャーのストレスに由来するもの。
②お腹が空かない。そんな自分なんかが食べ物様を消費するのはもったいないという思考に由来するもの。
①はおそらくうつ病ではよくある症状のようで、カウンセラーもそれはあるあるですね、というようなことを言っていた。
一方、②について相談すると「は?どんな感覚?」というような返答であった。珍しい感覚なのかもしれない。
自分なんかが〇〇するなどもったいないという極端な思考について
②の原因は、私は極度の貧乏性、ミニマリスト的、ドケチ的思想があり、かつライトな希死念慮をもっていることだと思う。
私なんかのためにお金を使うことはもったいないと感じる性質は幼少期からあって、ものをおねだりすることはほとんどなかった。
ランドセルすら姉のお下がりを率先して使うような可愛げのない子どもであった。
これらの性質とうつ病の苦しさが相まって、あわよくばこのまま食べずに死ねればいいなどという突拍子のないことを考えるのである。
一方で私は利他的な思想も持っている。
私が死なないでいる、自殺を試みないでいるのは、そういうことをすると家族および社会に悪影響を与えると考えているからだ。
平たくいえば、人にはなるべく迷惑をかけず、社会に損失を与えず、慎ましく。
これが私の理想の生き方および死に方である。
コスパよく生きるということ
これらのことをひとしきりカウンセラーに話すとようやく私の根底にある考え方とそれに伴う極端な感覚②に対する理解が得られた。
また私自身も他人に説明することによって自分の立場を整理することができた。
カウンセリングの意味はまずそのことじたいにある。話すという行為そのものによる効能。
カウンセリングのもう一つの効能は、当然のことながら客観的視点からアドバイスをもらえることだ。
感覚①についてはうつ病の症状であるから抗うつ薬の効果を期待する。
感覚②については以下のように考えてみてはどうだろうか。
「あなたは社会に迷惑をかけずある意味コスパよく生きたいと思っているんだよね。そして率先して死にたいわけでもない」
「そうですね」
「ということはさ、いまぐずぐずして食べないでいるとかしてるよりさ、ちゃんと食べるということにそこはコストをかけて、とっとと体力つけて病気治しちゃったほうがコスパよくない?」
この考え方は何だかこれまでの話の中で1番私の腑に落ちた。
感覚②について母には相談してきたけれどそこで得られた回答ではしっくりこなかった。
とりあえずコスパよく生き社会に貢献するために私は食べるぞ。