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コロナ禍。私がいかにしてうつ病という名のトンネルへ入ったか。

2020年の夏の東京。私はうつ病と診断された。
それは本来ならオリンピックで浮かれているはずの大都会が、1回目の緊急事態宣言で静まり返ったあとのことであった。

時期からすればいわゆる「コロナうつ」に当てはまるのかもしれない。
もしコロナ禍がなかったら、うつ病になることもなく元気に働いているのかもしれないが、起きてしまったことは仕方がないことだ。

しかし以前の記事でも書いたとおり、私はもともと出不精であり緊急事態宣言で遊びに行けなくなったことがストレスになったとは全く思えない。
病状が回復しつつある今、これ以上の悪化や再発を防ぐために、なぜ当時そこまで追い詰められてしまったかをここに書き留めておきたい。

大きなきっかけはなかった。塵が積もって山となった。

志望した企業に入り、仕事は順調。
今どきにしては早々と結婚もした。
誰が見ても幸せそうな人生だったであろう。
でも私にとっては違っていた。

結婚により苦手な都会生活を強いられ。いくつかの悲しい出来事(大切な人との永遠の別れ)を経験した。
結婚数年目。パートナーは転勤で海外に行ってしまった。
だんだんと東京で働いている意味が見いだせなくなって……。
そんなときにコロナ禍に突入した。

ただでさえ環境変化に弱い私が、不測の事態に苦手な東京で立ち向かわなくちゃいけなかった。
明日の食料が手に入るかも分からない。
不慣れなリモートワーク。感染のリスクのあるなかでの電車通勤。無駄に思える会議……。

仕事もパートナーもお金も時間もあって……たぶん幸せなんだけど自分の価値観からすれば幸せじゃない。
大切な人のそばにいて、それなりに働いて家事をして、ただそういう普通の生活に憧れていたのに……。
私は何のためにこんなところで一人で働いているんだろう……。やり甲斐があったはずの仕事もつまらなくなった。

コロナ禍でとうとう……。

リモートワークではやる気が出ずにサボりまくった。
だけど最低限のことはやって働いている風を装っているズルい自分。
このままじゃダメだと思って無理して出勤。
だけど溜まりに溜まった仕事の上に想定外の量の別案件も降ってきて、しかも苦手な人と関わらないといけない仕事で……もうキャパオーバーだった。
早めにSOSを出していれば良かったのに、ここから毎日フルで残業すれば自分ならいける、という謎の自信。

けど、もう、うつ病だったんやろな。
土日は完全に病的な落ち込みがあったし、食事は適当。
寝ても悪夢悪夢で寝た気がしない。
だけど会社では元気を装う。
家族にも私は全然平気って言って……ひとりでいると涙が出てきて……。

夜遅くに適当なご飯を食べながら、コロナのニュースを見て、祖父の写真や結婚式の写真を見てボロボロ泣いてた。
今思うと完全に病的な落ち込みだったけど、しかも心に関する仕事をしていたのだけど、自分も周りも気づいてなかったな。

うつ病になっていた。

気づいたらもう、泣くこと以外動けなくなってた。
出社どころか日常生活もままならない。

しばらくは風邪を引いたフリをして仕事を休んでいた。
大したことないけどコロナも心配なので、と言って……実際、微熱が続いてたから内科に行ったけど血液検査で炎症はなし。
今思えばストレスから自律神経が狂ってたんだな。

1週間くらい休んだかな。
毎日明日こそ出社しないと仕事の締め切りに間に合わないと思って寝るのだけど、もはや一睡もできない夜が続いた。
寝ているのか起きているのか、生きているけど死んでいるような状態になった。
完全に自分の存在価値を見失っていた。
お腹は空かないけど食べなきゃと思って口にするけど美味しくない。

買い物はコロナが心配(自分がかかることより、誰かにうつすのが心配)で行けないけどケチだから宅配も頼まない。食べなくても1週間くらい平気だという謎の自信……というか別に自分はどうなってもいいって感じで食べなくなった。
今日も休みます、と上司に連絡メールをしたときにほんのちょっとのSOSを出した。それまでは軽い風邪、と言っていたけど、正直に、熱が下がらないのと、心配事が重なって涙が止まらないのです、と。

初めての精神科へ。

そのSOSに上司は敏感に気づいてくれた。
電話で話そうといって、初めて泣きながら上司と話した。

母に初めて仕事に行けていないこと、涙が止まらないことを連絡した。

そこからの上司と母の動きは早かった。
私に内緒で連絡を取り合い、精神科の受診につなげてくれた。あれが鈍感な上司だったら、ヤバかったと思う。
母のことも私は見くびってた。母って偉大だ。

精神科に行ったら心理テストがあった。
なまじ知識があったから重症にならないように答えたけど、全部に当てはまった。

毎年会社でストレスチェックがあるから、似たような質問に去年も答えたのに、全然回答内容が違うことに自分でも驚いて、あ、自分、病気なんだってその後の初診面接を受けるまでもなく気がついた。

仕事は休みたくない大丈夫ってゴネたけど、主治医と上司とカウンセラーに説得された。
上司は忙しいのに5時間くらいかな、通院に付き合ってくれた。
カウンセラーさんは永遠と泣く私の途切れ途切れの話を聞いてくれた。そして私は、うつ病という病気と向き合うことになった。

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