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ヴェーダンタ認識論によりわかる   伝わってくる認知症テレパシーの弊害

今日は、海外のシバ神からのメッセージチャンネルをみていて それが良く働く時もあれば 憂鬱なものを引き起こすこともある
今日は明らかに後者だ

でもその前に人の好不調はやっぱり体力気力で決まるという部分は大きい
どういうわけか昨日あたりから体力気力が不調ぎみであり そんなところにもってきていつもは肥しになるメッセージチャンネルもより不調を加速させた

そんなところに限って最近はめっぽう減ったかのように見えている親父の認知症への対応で朝から手こずった
昨日~今日にかかて 今日だけでも現時点で4回は親父への対応で多大な時間が飛んでしまっている

基本的に今回のこのノートの記事は自分にとって事実を有りのままに記すことでの「うさばらし」だ
今回 認知症親父への対応で記事までかくのは久しぶりだ

今日 認知親父の対応に飛んだ時間は久しぶりに長く 1回において10分~1時間の対応を 昨日の夜から合計5回はあった
しかし一番の辛さというか問題は その対応しているときにあらずで
むしろ対応会話をしていないときにある

もしかすると親が認知症対応経験者はみんなわかることかもしれないが・・
結果からいえば 何もないときでも 伝わってくるのだ
何が?
親がボケて困りはてどう行動していいか?わからずイライラしているそのイライラが!
ハッキリいう『こんなことでテレパシーがわかるとは皮肉か?』と!
こんなことでわかりとねーわ! つーようなものだ

毎日 自分達の家であるにも関わず自分が寝ている部屋を忘れしまう 洗面所を忘れる 等々あげだしたらキリがないのだが・・・
それにも増して面倒みているこちら側にとって耐えられないのが!
『・・・それでどうしてればいいんだ?・・・』という問いだ
これは大方 昼御飯はどのようにして何時頃食べればいいのか?とか普通ありえない質問事項に片が付いた次の瞬間にでてくることすらある
今日の昼御飯前に
・何時に食べるのか?
・それが12:00なら それまでには食べるものがないのか?
・なら1時間以上待たないとダメなのか?
・で?何時にご飯なのか?
・食べるものはあるのか?
これらの応酬が限りなく続いた 正直はったおしてやろうかとおもうほどだった このような質問のループが1回において5分は続く質問が合計4回ほどあった その物理的原因は認知症により朝御飯を食べてまだ間もないのに「腹が減った」と思い込んでいるわけだ こっちは答えるのも嫌になるほどだ それでもやっと一件落着したと思って自分の本来の行動に戻って一息つくと今度は
『おぃ それでおれは何をしてればいいんだ?』『わからないから教えてくれ』 これの応酬がはじまった

自分の部屋の近くのストッパーまできてそれを叫ぶこと5回!
妹なら気が狂うだろうな~っと思いながら自分はこの状況を整然とみていた
もちろん 最初2回ぐらいまでは答えてやったが3回目以降は無視して整然と観察した

まぎれもなく親父にしてみると 本心からの問であり 本当にわからないのだろうということはすぐわかる
この突然の混乱は、いったい何がおきているのだろう? それを考えた
最近はここまでひどい症状は 2日に1度くらいになってきていて最近はもっぱら 朝早くか夜中の手前ぐらいに今日の3分の1くらいの症状は毎日あるのだが ここまで酷いのは久しぶりに感じた

そこで気づきをあげると次のようになる

まず1ついえることは、これは明らかに自分に呼応して起こり始めた これが起こるちょい前の午前中 自分も調子がわるく少しウツぎみでマインドは久しぶりに不安定だった
あきらかにそれに呼応するように認知親父の混乱がはじまった ・・・①

次は飯も食べ終わり 親父との葛藤はピークを越えても続き昼をむかえてとりあえず一件落着してきた (※細かいのはその後もある)
そこで整然と観察して引き出した答えは 結局言葉ではなく 不安エネルギーの仕業のため 理屈でみても一向に解決しないという答えだ ・・・②
これは何も今日だけではなく最近はもっぱらこの見方が主流

認知症親父は 無意識にある不安の増大を意識が何とかしないといけないという思いから いろいろ頭で理屈をつくだして最後には自分を呼ぶという結果になるといえる したがってその導きだされた自分への質問の筋の通る解答を1個2個聞いたからとて 不安がなくならない以上は 何度も同じことを聞いたり ありえない事柄のこじつけをしたりそれは想像を絶している

つまりこれは この潜在化にある「不安エネルギー」をなんとかしないとどうなるものでもなく その不安解消という筋書きを演出するというのが最近の認知症対応のやり方となる

まぁ~ざぁーっと現象面をあげたのだが・・・これはあくまで自分の冷静沈着な観察者としての側面をいったまでであり
自分も感情をもった人間であるからには、現実全ての局面で的確適正な対応ばかりというわけにはいかない

面倒をみている自分への最高レベルの人権侵害に 感情が暴発して壁に投げ飛ばしたり 足を蹴り飛ばしたりする実力行使の時期はとーにすぎさっている今回このノートであげたいのはそんなことではなくてこれら認知症現象をVedanta認識論哲学で解釈するとどのようになるのか? という点だ

自分という自我視点 認知親父という自我視点 またそれら全てを取り囲んでいるカルマ視点 これらを自分の意識の中で観察した時どのようなエネルギーがどう作用してこういった現象になるのか? という点だ

ここまで読んでくれた読者にしてみると「認知症に何をいってんだ?」でおわりだろうとおもう
しかしそれがそうでもないというのが最近わかってきた点だ
なぜなら「まだらボケ」といわれるのも 面倒みている息子側の精神状態というのが多かれ少なかれ関連していることがわかってきたからだ

またこれは自分もしくは親も含めたカルマも多いに関連している
つまりは意識宇宙現象の自分と男親という集合体のエネルギー配分の形状変化と何かしらの外的構造からの自分を抑制するストッパーの働きなどいろいろなものが関連しているのが見え見えでわかってきた
つまり 認知親父は認知親父で決して息子をからかってやろうなどと思っているのではなく真剣にやってこうなってしまうのであり つまりは親父視点の認識意識宇宙の視界がボケを引き起こしているといえる
それは親父のマインドの中にある 各別個の様々な想念が今までは親父の意識の力でまとめられていたものがそのパワーを失い 別個に働いていることがみてとれる それは親父と葛藤口論になり問い詰めていろいろ意見を聞いているとわかってきた最近の智識としての収穫だ

当然ながら外的要因でこの自分を制御しようと呪詛的なものを送ってくる輩は大体察しがついているわけで それはこれから完膚なきまで叩いていくまでだ

まぁこの記事を書いた一番の目的はうさばらしであり それは特にどの点か?といえば 一旦認知症が活発化しはじめたとき それに対応して口論しているときよりも 自分の部屋で待機してやるべきことをやらないとけいないときに 認知親父からのイライラ波動が伝わってくる瞬間だ
これは明らかにわかるものであり ある任意の瞬間 今この0.5秒前から何かしら親父はボケで認識が成立せずまたもやイライラや怒りが発生して間もなく自分のところに来る! といったことを傍観しているその時 まさにこの時こそが最も辛い瞬間であり まーただ! まーた何やら画策しはじめた!とわかるのだ
そして この親父の認識の歯車は 親父という個性の人生視界のカルマで起こる場合と自分も含めた集合体として起こっている場合とがあり
この親父独特の人生視界で混乱が生じてそうなっている時が一番やりきれないとなる なぜなら親父は生まれた時から絶えず自分の周りに世話をしてくれる者がいてつい最近までその環境で生きてきた者であり 毎日毎日お袋や親族 また得体のしれない「誰か」がいると思っているのだ
もはや親父の頭には「時間」の整合性という着想はとーの昔に喪失している
( ※ 得体のしれない「誰か」とはかつて親父が若い頃から80歳近くまで絶えず身の周りにいた家族 親族 友人知人 全てをさす )
しかし これらすべてにおいて 個性体の人生認識視界の必然の結果なのでありその起因を叩かないとただガムシャラに怒ってもどうなるものでもないというのが辛いところだ


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