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何かを買ってもらうのが苦手

私は、親に何かを買ってもらうのとか、先輩に奢ってもらうのが苦手です。買い物も少しでも安い物を買おうと思ってしまいます。本当に欲しいものは我慢して、少し安い物を選ぶ、そして買ってもらったあとは何度も「ありがとう」ではなく、「ごめんな」という気持ちになります。

その理由ははっきりとはわかりませんが、小さな頃からの習慣かもしれません。
私はお金の事で喧嘩する両親を小さい頃から見てきていました。いつも喧嘩の内容は、お金でした。

だから、私は、出来る限り、奨学金や学費免除ができるように学業には手を抜かず取り組んでいました。また、最初の1年間は「生き急いでた」のnoteにも書きましたが、アルバイトに明け暮れていました。国や、企業の方のおかげで、今は学費について親に援助は一切してもらわず、自分の学ぶ権利を得ることができています。

その反面、当たり前に学費を出してもらい、自宅でおいしいご飯が当たり前に食べれて、そして、自分が遊ぶため、飲み会のためのお金だけを稼ぐためにバイトしている友達に腹が立った時期もありました。「どうして、私だけ?」と思ったり、「大学に行けるだけで私は必死なのに、そんな事で悩めるのは幸せやな」とか、「親に出してもらった金で大学きてるのに、授業休むなよ」と思ったりしてしまっていました。そんな腹立たしくおもってる自分さえも、嫌で仕方がなかったです。

そんなこんなで大学1年間を過ごし、アルバイトや奨学金のおかげでお金にも少し余裕が出てきました。そこで、私は、片道2時間半の通学に疲れてしまい倒れたこともあって、親から離れて、一人暮らしを始めました。節約も日々行い、貯金もしていました。
そこでは、初めて自分らしくお金を使う喜びを覚えました。自分でやりくりして、自分の本当に欲しい物が買える喜びは大切な物でした。大切な日に、少しいい物を食べたり、少しいい物を買うと、少し特別な日になり、自分を大切にできます。料金には、その楽しい時間を過ごしたり特別な気持ちを味わえたりする、大切なきもち分が含まれているのだなぁと実感することができました。

でも、やっぱり家賃は自分で全ては払えないので、親に援助してもらっていました。その情けなさや申し訳なさから、2年で下宿をやめ、実家に帰ってきました。

そんな中のある日、大きな喧嘩が家庭で起こりました。その際、父は私や母、弟に向かって、俺がどんなに働いても俺の金なんか残らない。お前らに使われていく。俺は生きてて楽しい事なんかない。と言いました。
正直、私は今は実家暮らしであるために、ご飯やお風呂は入らせてもらっているが、そんなに無駄遣いしていないのになぁ。と思っていました。それだけでなく、「そんなんだったら、子どもなんか作るなよ」とも思ったし、「じゃあ死ねばいいのかな」とか、「大学行かず働けばよかったの?」とか考えた日もありました。

お金の大切さは理解しているつもりでした。だから、余計に腹立たしさが買ってしまったのだと思います。ですが、少し経って、私はお父さんのことについて考え始めました。

お父さんのしんどさは親にならないとわからないのだろうなぁ。と思います。けれど、多分、子どもを育てたいとおもっていたはずが、子どもを育てなければならない義務や責任にいつからか変わっていて、その責任感や義務に対してすごくしんどく感じるのだと思います。

お金を使う事に特別な思いがあるのと同時に、お金を稼ぐ事にも特別な思いがあるのです。

その、お父さんの思いもわかります。
その思いが分かるからこそ、お父さんと分かり合えることはなくても、お金を使ってもらったら、これからは「ごめんね」ではなく、その苦労や特別な思いに寄り添って、「ありがとう」と言えるようにと思っています。
そうすると余計にそのお金を使ってもらった物が特別なものに変わる気がします。

そして、最後に、私はこの虚しさや腹立たしさを親目線で客観的に分析しましたが、普通の子どもはしないだろうと思います。今まで努力し身につけた学問のおかげで、言語化し、還元する事ができたのだと思います。
そう思うと、自分を守るために、学問はすごく大切であるし、参考書や本の知識は今、私の頭の中で生きていると思えます。

やっぱり、こんなふうに思えるくらい勉強させてもらえた事には「ありがとう」があっているのだと思います。

いろんな背景がごちゃ混ぜになっていますが、最後まで読んでくださってありがとうございます。

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